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名木古木達の歴史的遺産
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さくらの名木達 / 名木一覧表 |
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桜の名木一覧 北海道 |
北海道 |
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血脈桜(けちみゃく) |
松前郡松前町松城 |
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樹齢:280年以上。幹回り:約3.0M。道指定天然記念物。
北海道の最南端に位置する松前は、
北の小京都とも呼ばれ江戸時代に松前藩が置かれていた道内唯一の城下町。
松前城跡の松前公園には二百五十種類、一万本の桜が咲き誇る。公園内の奥にあるのが光善寺。
この境内には松前でも一番古い桜で樹齢280年以上の巨木が血脈桜で樹高7メートル、
幹回りは約3M(二又)。 |
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桜の名木一覧 東北 |
山形県 |
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伊佐沢の久保桜 |
長井市上伊佐沢字峰屋敷2021 伊佐沢小学校校庭脇 |
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樹齢:1,200年。江戸ヒガン桜。幹周り:9.0M
国指定天然記念物 「伊佐沢の久保ザクラ」
昭和25年 (旧法:大正13年)指定。
東北地方で最大の巨木。日本名木百選の桜。
巨木にまつわる伝説として、坂上田村麻呂将軍と、土地の長者の娘「お玉」との悲恋物語によって、
この桜は「お玉桜」という呼び名が一般に広まっている。 |
岩手県 |
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石割桜 |
盛岡市内丸9-1 |
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樹齢:360年。幹周り:4.7M。国の天然記念物。
盛岡地方裁判所の構内入口にある桜は、巨大な花崗岩の割れ目に生え、
成長のともに割れ目を少しずつ押し広げている。
昔は南部藩家老北家の敷地に。
明治9年、明治天皇御巡幸の折、陛下がご覧になってから有名になる。
樹高11メートル、幹回り4.7メートル、枝張りは南北20メートルの巨本で
国の天然記念物は大正12年に指定。 |
宮城県 |
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山王の桜 |
登米郡迫町北方字相ヶ沢 山王権現境内 |
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樹齢:600年。エドヒガン。町の天然記念物(平成13年)
目通り幹囲約7m、高さ13mの巨木で、種類はエドヒガンと思われる。
大同年間の806〜810年、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に自ら植えたとか、凱旋記念に植えたと伝えら、
弘長年間(1261〜1263)に鎌倉幕府の執権北条時頼が全国をまわっていた時、
この桜を見て山王大権現と褒め称えたので、この名前がつたと伝えられています。
歴史上は1100年以上の古木なのですが、
残念な事に幾度か植え替えられたらしく実質600〜800年らしいそうです。 |
福島県 |
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三春の滝桜 |
田村郡三春町大字滝字桜久保 |
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樹齢:1,000年。ベニシダレザクラ。幹周り9.5M
国指定天然記念物 (大正11年)
根尾谷の淡墨桜(岐阜県本巣市)、実相寺の神代桜(山梨県北杜市)とともに、
日本三大桜の1つに数えられ、東西の横綱に位置づけられ、
また日本さくら名所100選には滝桜を含む約2000本の「三春町のシダレザクラ」が選ばれている。
駐車料金+協力金(任意)の「滝桜協力金」頑張れ。
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福島県 |
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馬場桜(駒止め桜) |
安達郡大玉村玉井字石橋 福満虚空蔵尊境内 |
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樹齢:1000年。幹周り:7メートル。エドヒガン。国の天然記念物(昭和11年)。
平安時代末期(後三年の役)八幡太郎義家の軍馬を訓練した馬場跡。義家が桜のムチを土に刺し、
駒止にしたのが根づいたと伝えられる。
馬場桜保存会(昭和61年設立)が樹勢回復作業を懸命に行っている。 |
福島県 |
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石部桜 |
会津若松市一箕町八幡石部 |
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樹齢:600年。エドヒガン。市の天然記念物(昭和43年)。
中世会津の領主・茸名氏の重臣石部治部大輔の屋敷の庭にあったことから「石部桜」と呼称される。
会津五桜の一つで、幹周り0.5〜2.2Mの8本の幹からなる。
会津五桜とは、会津にある五つの桜の名木を言い、
石部桜・薄墨桜・虎の尾桜・大鹿桜・糸桜を呼びます。 |
福島県 |
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高田桜(薄紅彼岸桜) |
石川郡石川町高田 |
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樹齢:500年。エドヒガン。県の天然記念物(昭和31年)。
樹高、約18Mで幹の直径は約1.9M。
戦国時代末の領主石川昭光の頃に、すでに知られていたという巨木。
傾斜面で根が広がらない為だろうか、主幹が途中から折れている為なのか、樹勢が弱い。
石川町は桜の名所として知られている。北須川、今出川のほとりは、美しい桜並木が続いている。 |
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桜の名木一覧 関東 |
長野県 |
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素桜神社の神代桜 |
長野市泉平字素桜(すざくら)513. 素桜神社 |
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樹齢:1,200年。エドヒガン(アズマヒガン)。幹囲 11.3m(老木のため現状は細い幹に)
国指定天然記念物(昭和10年)。
その昔、素戔嗚尊が、杖を水辺に挿したものが根付いたと伝承され、
「神代桜」とも 「素桜(すざくら)」とも呼ばれている。
山梨の山高神代桜と岐阜の根尾谷淡墨桜と長生きでは争っている。
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茨城県 |
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大戸のサクラ |
東茨城郡茨城町大戸1539 |
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樹齢:500年。ヤマザクラ。国の天然記念物(昭和7年)。
大正初期には、枝が大きくはりだし、1,000平方m(300坪)の広さがあったと言われている。
水戸黄門もこの桜を観賞したと伝えられている。
最近は急に樹勢が衰え、幹は枯れ落ち往時の面影が全くなくなてしまって、
現在は支幹の2本の枝が,当時の面影を残しています。
全株の根元の周囲は7M,全体の高さ約15M。 |
栃木県 |
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金剛桜 |
日光市山内2300 輪王寺境内 |
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樹齢:500年。ヤマザクラ。国の天然記念物(昭和11年)。
輪王寺三仏堂の前にある根回り約5.7mの見事な老木。
昭和11年に三好理学博士の調査により、山桜の勝れた突然変異種で、
黄芽・白花大輪の花香が強いヤマザクラと判明する。
地際より数本の支幹に分かれ、特異の樹形をなす。
明治年間、隣接境内(御霊殿)にあった山桜の大木を移植した大僧正の法名、
金剛心院に因んで命名された。 |
埼玉県 |
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清雲寺の枝垂れ |
秩父市荒川上田野690 |
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樹齢:600年。幹周り:3.0M。県の天然記念物。
清雲寺には県の天然記念物に指定された樹齢六百年の八重枝垂れ桜がある。
樹高15メートル、幹の回りは約3メートル、枝張りは10数メートル。
この寺は応永三十年の開祖、臨済宗建長寺派に属する禅寺。
境内には他に樹齢三百年のシダレザクラやヤエザクラ、エドヒガン、
チチブベニなど種類の違った枝垂れ桜が二十本以上も植樹されている。
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埼玉県 |
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石戸蒲(いしとかば)ザクラ |
北本市石戸宿3丁目119番地 東光寺境内 |
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樹齢:800年。エドヒガン。国の天然記念物(大正11年)。
根回り7.4M 樹高14m
樹種は和名「カバザクラ}という世界でただ一本の品種で、
最近の研究ではヤマザクラとエドヒガンの自然雑種と考えられています。
源範頼の隠れ住んでいたとの居住があった所に追善のため植えられたと伝えられ、名は「蒲の冠者範頼」に因む。
江戸時代から名桜として知られていた。 |
山梨県 |
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神田(しんでん)の大糸桜(枝垂れ) |
北杜市(旧:北巨摩郡)小淵沢町松向1904−2 |
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樹齢:400年〜700年。。エドヒガン。幹囲: 7.5m
県の天然記念物。(昭和34年)
標高810Mにあり八ヶ岳をはじめ南アルプス周辺の景観は素晴らしい。
中央線の車窓からも見える大糸桜です。
エドヒガンの仲間には変異が多く、枝が細く垂れ下がるものをシダレザクラという。
イトザクラはシダレザクラの別名である。 |
山梨県 |
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実相寺の神代桜 (山高の神代桜) |
北杜市武川町山高2763 |
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樹齢:2000年。エドヒガンザクラ。根元・幹周り11.8m。
国初の指定天然記念物。(大正11年)。
日本最古の桜。平成2年に「 新日本名木百選」に指定。
根元の踏み固めや木の痛みを改善するために、近くの市道の車両通行禁止や根元の土の入れ替えや柵の修繕など、
樹木医指導に従い改善し、1984年から20年間トタン屋で根幹を覆っていた。 |
山梨県 |
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久遠寺の枝垂れ |
南巨摩郡身延町身延3567 (身延山久遠寺) |
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樹齢:400年。シダレザクラ。
山域にシダレザクラを中心に約1,000本の桜があり、
とくに久遠寺祖師堂を飾るシダレザクラは花、樹形ともに美しく有名。
全国しだれ桜10選に数えられています。 |
東京都 |
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六義園の枝垂れ |
文京区本駒込6-16-3 |
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樹齢:60年。エドヒガン。
六義園のシンボルである枝垂れ桜は、ソメイヨシノよりも一足早く開花し、
毎年東京に春の訪れを告げてくれます。
六義園には4本の枝垂れ桜がありますが、大木戸前広場の枝垂れ桜は、高さ約13m、幅約17mもある大木で、
エドヒガンという品種が変化したものです。
六義園は五代将軍徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主の柳沢吉保が
元禄15年(1702)に築園した日本庭園で昭和13年(1938)に開園。 |
千葉県 |
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吉高の大桜 |
印旛村吉高930番地。須藤家(屋号 文左衛門) |
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樹齢:300年。ヤマザクラ。根回り周囲 6.7m
村指定天然記念物。(昭和56年)
祭祀場(氏神)として周辺より1mほど小高く塚状に盛土されており良好な環境条件に恵まれている。
畑の脇には茶屋があり、竹の子ご飯、甘酒等この地にふさわしいものを出してくれます。 |
神奈川 |
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長興山の枝垂れ桜
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小田原市入生田470 長興山 |
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樹齢300年。幹周りが3.8m。市の天然記念物(昭和32年)。
神奈川県随一の桜の名木と言われるこの桜は、箱根湯本の手前の
長興山といっても山名ではなく、
江戸時代に小田原城主となった稲葉氏が開いた「長興山紹太寺」跡を指す地名。
本堂の裏山を登り、稲葉一族の供養塔を越え、三百六十段の石段を登ってやっとたどり着く。 |
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