歴史の 浪漫街道  孤高の時計塔  街角の時計塔 休むことなく時を刻み続ける時計は知らぬ間に町のシンボル
孤高の時計塔


街角の時計塔 U

    六本木アマンド前の時計塔

人気スポット六本木。07.12.20. 時計塔の下での待ち人たち。07.12.20. 車輌は姿見せず防音壁で走音のみ。07.12.20.
喫茶店アマンド前の人波 時計塔の下で誰を待つのか 首都高の通行車輌は途切れない

六本木交差点のアマンド前の時計塔。 都内有数の繁華街で待合場所として有名ですが、 外国人にも人気スポットのためか文字盤の下にある地図案内図には赤文字で「HERE」と記載されている。 港区六本木6丁目1。 撮影:07.12.20.
ビルの建て替えのために平成21年1月より近くで仮営業中。
アマンド六本木店は、東京オリンピックの昭和39年(1964)にオープン。 1階はカフェ、2階はカフェレストランで、長い営業時間 (平日は9時から翌5時まで) と年中無休ということで六本木のシンボル的な店。
 

    八王子駅北口の時計塔

駅前ロータリーの時計塔。08.01.08. スクエアビルを背景にそびえ立つ時計塔。08.01.08. 真夏の中横断メロディーが鳴り響く。07.08.05.   JR八王子駅北口の東急スクエア脇の二面のローマ数字の足長時計塔。


    八王子市役所の時計塔
八王子市役所の二面の時計塔。 何の飾り付けもしていないシンプルな時計塔です。 市政の告知塔としての役割を担っているからでしょう。
八王子: 戦国時代には城下町、江戸時代には宿場町(八王子宿)として栄え、 明治時代には絹織物産業や養蚕業が盛んであった為に「桑の都」と呼ばれた。
人口576千人は全国第24位の市。
  ひっそりと立つ八王子市役所の時計塔。06.11.21. 時刻盤ではなくスローガンが眼に入る。06.11.21

戦国時代の武将の北条氏照が天正15年(1587)に城を築いた深沢山(八王子城山)には、 牛頭天王の八人の王子神である「八王子権現」が祀られていたため八王子城と名づけられた。 この城名が八王子市名の由来である。  

    中央線立川駅北口の時計塔
ロータリーに待ち受けるタクシーを見つめる時計塔。07.12.04. 塔の名称は「渡り鳥の塔」07.12.04.   JR中央線立川駅北口ロータリーの三面の時計塔。海も無く多摩川沿いの為なのか、 塔の名称はなぜか「渡り鳥の塔」 三つの渡り鳥のオブジェを回転させる風車が3個ついている。

平安時代 地方豪族の立川氏が地頭となり、現在の普済寺に城をつくったことから立川(たちかわ) になったと言われ戦国時代末期まで領有する。 1600年代 玉川上水の開通により、砂川で新田開発が進み、五日市街道周辺に村落が形成される。  


    京王線北野駅前の壁時計塔
京王線北野駅前ロータリーの壁掛け時計。 細いビルのデザインも特殊だが、ロータリーに面してはいるが ちょっと気ずきにくい吹き抜けの梁にカリヨンが附いている。
地名の由来は「北野天満神社」があることによる。
東京都八王子市打越町にある京王電鉄の駅。
  駅前ロータリーの雑居ビルの時計。07.07.22. それとなく壁掛時計のカリヨン。07.07.22.


    地下街ポルタの排気塔の大時計
人の波に流されて誰も見ていない。08.02.13. 誰も気付かぬが排気塔の大時計。08.02.13. シンプルが故に印象が残る。08.02.13.
地下街通路階段から望む 皆が不思議がる積み木の建物 無名でも自己主張の大時計

JR横浜駅東口南駅前広場のシチズンのシンプルな積み木二面の大時計。
ちょっと気付かぬ横浜中央郵便局と崎陽軒の向いの東口南駅前広場周回路の 積み木を積み上げた様な建物は、地下街ポルタの排気塔なのです。 この時計塔の名は「さわやか時計」です。 しかしこの大時計は強烈に自己主張しています。 横浜市西区高島2丁目。
 

    横浜そごう地下連絡路の時計
ただ人の流れのみが過ぎ行く。08.02.13. 時計屋ゆえのシックな時計塔。08.02.13.   JR横浜東口横浜そごう地下連絡路のロレックス専門店クオークJR横浜東口店。 吸い込まれるように人波が続くが、ローマ数字の文字盤のこの時計塔に気付く人は先ずはいない。
横浜市西区高島2-16-B1.

    横浜スタジアム入口の時計塔
横浜公園の時計塔。
みなと大通りの市庁舎前横浜スタジアム入口脇に建つ。 日本宝くじ協会の寄贈によるものでシンプルさ爽やかさの時計塔はやはり球場にぴっ足しの時計塔です。
  球場脇に佇む時計塔。08.02.13. まるで球場スタンドの高さを競うような時計塔。08.02.13.


横浜スタジアム: 横浜公園内にある横浜ベイスターズのホームグランドです。 開場は昭和53年4月(1978)と比較的新しいのです。
しかし歴史は古く、昭和4年(1929)に関東大震災復興記念事業の一環として整備された「横浜公園球場」である。 この球場では昭和9年(1934)に、ルー・ゲーリッグやベーブ・ルースらを擁するアメリカ大リーグ選抜軍と、 沢村栄治や苅田久徳らを擁する日本代表チームとの間で現在の日米野球の前身となる親善試合も開かれた。 昭和30年(1955)に「横浜公園平和野球場」と再度改称される。 しかし、市民の間には正式名称よりも略称である「平和球場」という呼び方のほうが定着した。
 


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