歴史の 浪漫街道  孤高の時計塔  街角の時計塔 都会の喧騒の中でもただコチコチと休まず自己主張している
孤高の時計塔


街角の時計塔 U


    羽田空港第一、金沢片町、京・四条河原町

羽田空港第一旅客ターミナル北ウイングの待合コーナーの時計塔。 洗練されたシンプルデザインです。 搭乗客で混雑の中でも静かに時を刻む羽田北ウイング集合ロビーの時計塔。06.07.11.   石川県金沢市片町。
なんとシンプルでしょうか。 それが町中の雑多な看板たちに打ち勝っています。
さすがは金沢!何も加えない、何も付けない、この丸型このシンプルさ。06.07.12.

四条河原町の時計は舞妓姿も優雅です。06.10.26. 08:30。通勤ラッシュはまだの四条河原町と時計。06.10.26.   京都四条河原町交差点のシンプルな舞妓三面時計、ズバリ町中の時計です。 京都の象徴であるだらりの帯に裾をひく舞妓が時計の上で舞っている。 昭和63年(1988)設置。
京の都らしく舞妓が舞う 繁華街の現代的な時計塔


    京都・烏丸五条通り

京都烏丸五条通り。08.05.31. 時計塔の屋根は御所の紫宸殿のイメージ。08.05.31. 背後に東山を望む。08.05.31.
五条通り分離帯に立つ時計塔 御所紫宸殿の風情です 烏丸五条に悠然と立つ

昔の五条通はといえば、現在の松原通が旧の五条通。 旧五条通は清水寺への参詣道として、平安京の時代から鴨川に橋(もちろん五条大橋です) がかけられ賑わっていました。 清水参道らしく松の木が立ち並んでいたために、人々は五条通のことを「松原通」と呼びはじめたのだそうです。
現在の五条大橋を最初にかけたのは豊臣秀吉です。鴨川の東に方広寺の大仏殿を建立するため、大仏殿に至る橋が必要になったのです。 牛若丸と弁慶の遭遇も、じつは松原橋での出来事というわけです。
いまの五条通は、東は五条坂から西は西大橋東詰に至り。 東山地域には、平安京の時代と同様、清水寺をはじめとする歴史的文化遺産が数多くあり、 いっぽう五条通りの西エリアでは、京都の新しい顔といえるインテリジェンスオフィス化が進んでいます。 そして、それらをつなぐのが五条通りの国道1号と国道9号の大動脈なのです。
 

五条大橋。
平安時代、 弁慶と牛若丸が出会ったといわれている五条大橋、 物語では叡山西塔の武蔵坊弁慶は太刀千振りを奪いとる悲願を立て、洛中に出没し、 弁慶が五条近辺に現れては通行人から太刀を奪い取ること999本、 あと一本盗れば千本目という時の夜、ここで牛若丸(後の源義経)と出会い、打ち負かされるとされています。
五条大橋のちょうど真ん中のグリーンベルト地帯に牛若丸と弁慶の石像が飾られ、時計塔もありましたが、 交通量の多さで現在は撤去され近くの公園に移設された。
 


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