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文明開化の歴史的遺産 |
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学び舎の時計塔 |
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東大小石川植物園本館の時計塔 |
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東大小石川植物園本館の螺旋階段も美しい曲線のガラス張り時計塔 |
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アールデコの鉄筋コンクリート造2階建て、塔屋の東西両側に時計が設置され、
南北には曲面ガラス張りで内部は螺旋階段の塔屋付。
華美な装飾は一切なく、白壁に優美な直線とカーブの縁取りの造形美が目を引く。
昭和14年(1939)完成。設計は内田祥三で代表作は、東大安田講堂、東大駒場キャンパス、東大医科学研究所等。
東京都文京区白山3-7。東大小石川植物園内。 |
シンプルな文字盤と両面のガラス張り |
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正面左側の時計盤 |
本館正面右側から望む時計塔 |
内部は植物分類学などの研究室があり、関係者以外は立ち入りできない。
残念ながら時計塔の螺旋階段を登ることもできません。
小石川植物園の正式名称は東京大学大学院理学系研究科附属植物園です。 |
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中央園路の桜並木 |
大木のクスの木 |
日本最古の鈴懸の木(プラタナス) |
日本でもっとも古い植物園で、世界でも有数の歴史を持つ植物園の一つです。
約320年前の貞享元年(1684)に、将軍職に就く前の徳川綱吉の白山御殿の跡地に徳川幕府が作った「小石川御薬園」が、
この植物園の前身であり、園内には長い歴史を物語る数多くの由緒ある植物や遺構が今も残されています。
この鈴懸の木(プラタナス)は明治9年に導入された日本で最も古い木です。
街路樹として現在広く使われているもみじ葉鈴懸の木は、この鈴懸の木とアメリカ鈴懸の木との雑種。
鈴懸の名の由来は、垂れ下がる実が、山伏が着る篠懸(すずかけ)の房に似ているから。 |
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町医者漢方医の小川笙船の意見により、江戸町奉行の大岡忠相に命じて検討させ、享保7年(1722)に当御薬園内に診療所を設けた。
これが赤ひげで有名な小石川養生所です。この養生所は幕末までの約140年間貧民救済施設として機能したのです。
養生所の古井戸は当初から使われており、
水質が良く、水量も豊富で、大正12年(1923)の関東大震災の時には避難者の飲料水として大いに役立ちました。 |
遺構として残る養生所の古井戸 |
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明治10年(1877)に東京大学が設立されると、小石川御薬園は直ちに附属植物園となる。
面積は、161,588u(48,880坪)で、台地、傾斜地、低地、泉水地などの地形の変化に富み、
それを利用して様々な植物が配置されている。 |
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白壁に優美な直線とカーブの縁取りの造形美の小石川植物園本館 |
山本周五郎の小説「赤ひげ診療譚」で有名な小石川養生所「赤ひげ先生」は、
江戸中期小石川に実在した人物で、本名小川笙船(しょうせん・1672〜1760)という漢方医です。
享保7年(1722)江戸市中の身寄りの無い病人の救済のために、小石川養生所の開設を目安箱に提案し、
「医は仁術」を実践した名医として有名です。
尚、養生所肝煎職(江戸幕府の職名で、同職中の支配役・世話役)は笙船の子孫が幕末まで7代に渡り世襲した。 |
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