歴史の 浪漫街道  孤高の時計塔  休むことなく時を刻み続けて皆が慣れ親しんだ時計塔は歴史をも刻む
文明開化の歴史的遺産


孤高の時計塔 U


    旧鎌倉駅の時計塔

鎌倉駅西口広場に建つ旧とんがり屋根の時計塔。'11.06.12.
旧JR鎌倉駅舎のとんがり屋根の時計塔が鎌倉駅西口広場に建つ

鎌倉駅は官設鉄道大船駅〜横須賀駅の開通時の明治22年(1889)に開業。 横須賀港に駐屯する海軍関係施設へのアクセスや物資輸送を行うため開業された官設鉄道であるが、 中間駅は鎌倉と当時別荘地として開けた逗子に設けられた。
その鎌倉は、日本最初の海水浴場の神奈川県の大磯海水浴場(明治18年開業)と同時に鎌倉でも海水浴が始められた。 鎌倉の場合には、名医と評判の長与専斎(蘭方医・肥前国大村藩出身・1838〜1902)が、 明治17年(1884)に別荘を開いて海水浴の好適地と推賞し、 明治20年には医療施設の「海浜院」を開き、翌年にはホテル設置が行われた。
 

鎌倉駅西口広場の設置の由来記念碑。'11.06.12. 旧とんがり屋根の時計塔。'11.06.12. とんがり屋根の時計塔継承した鎌倉駅の新時計塔。'11.06.12.
旧時計塔設置の由来記念碑 とんがり屋根の旧時計塔 継承した鎌倉駅の新時計塔

大正3年(1914)に初代のハイカラな洋風鎌倉駅舎が建つ。 大正12年(1923)の関東大震災で、鎌倉の被害として、 鎌倉駅舎のとんがり屋根の大時計は、午前11時58分で停止していたと写真と共に記録されている。
劣化した駅の改築が決まり、慣れ親しんだ時計塔を残そうと街頭募金が行われて、 歴史的遺産として保存がなされた。 昭和59年(1984)三代目の建て替え以降は、 旧時計塔にシチズンの丸型時計が付いて、今も時を刻み続けている。
 

三代目とんがり屋根の時計塔。'11.06.12.
現在の三代目JR鎌倉駅舎のとんがり屋根の時計塔

鎌倉地名の由来:  鎌倉という地名は、かなり古くから使われていて、奈良時代の「正倉院文書」の中の「相模国封戸租交易帳(735年)」の中に 「鎌倉群鎌倉郷三十戸田百三十五町百九歩」という記載がある。 最古の歌集である「万葉集」の中にも、鎌倉を歌ったものがいくつか収録されている。
鎌倉の「かま」は「かまど」のことで、「くら」は谷を表わすという。 鎌倉の地形が、三方は山で、一方が海のため、かまどのような形をしているからだという。
また、この土地に神様の倉があったので「かみくら」と言われ、それがのちに「かまくら」と言われるようになった。 等諸説あるが、 遅くとも奈良時代にはもう「鎌倉」という地名が使われていたのです。
 

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