歴史の 浪漫街道  孤高の時計塔 北海道内最古の鉄筋コンクリート造りの小樽駅舎で静かに時を刻む壁時計
孤高の時計塔


孤高の時計塔


    小樽駅舎の壁時計

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風雪にも耐え時を刻み続ける昭和9年建造の上野駅がモチーフのJR小樽駅舎の壁時計

左右対称の小樽駅舎。'10.06.17. 縦長の明かり取り窓。'10.06.17.   北海道内最古の鉄筋コンクリート造りの駅舎で、レトロな雰囲気で知られるJR小樽駅。 昭和9年(1934)に三代目駅舎(現駅舎)として、かつての左右対称の駅舎に改築された。
小樽市稲穂2丁目22。
左右対称シンプルな小樽駅舎 縦長六連の明かり取り窓

小樽駅舎は吹き抜け構造の構内。昭和初期の雰囲気を色濃く残し、 羅針盤で方角が描かれている天井はなんとなく古風で、駅の雰囲気によく似合っている。 縦長六連の窓には多数の小樽ランプが並び、構内を照らして暖かくしている。 これは北一硝子製で1998年に駅舎改修時に設置され、 現在はホームも含めて333個の小樽ランプが取り付けられている。 平成18年(2006)小樽駅が国の登録有形文化財となる。   小樽ランプが連なる駅舎構内。'10.06.17.
小樽ランプが連なる駅舎構内

斜面の中腹の小樽駅舎。'10.06.17. 大正浪漫漂う小樽運河。'10.06.17.
小樽海岸公園から望む斜面の中腹の駅舎 石造りの倉庫が当時の姿のまま残る小樽運河

斜面の中腹に建つJR小樽駅前正面から延びる道路は、 セピア通り(道道小樽海岸公園線の一部)と呼ばれ、 なだらかな坂道が小樽港第三埠頭まで続いている。 明治時代から物資の輸送拠点として栄えた港町、 小樽は、港に停泊した船から荷物の積み下ろし、 倉庫へ運ぶために重要な役割果たしてきた小樽運河は大正12年(1923)の完成です。  

明治13年(1880) 手宮〜札幌間に北海道最初の鉄道「幌内鉄道」(手宮線・函館本線)が 開通したレールが中央通り色内に保存されている。
明治36年(1903)には小樽〜余市間に鉄道が開通して、この時に現小樽駅である小樽中央駅が開設される。
  旧手宮線のレール。'10.06.17. 旧手宮線の説明板。'10.06.17.
中央通り色内の旧手宮線 旧手宮線踏切脇の説明板

旧手宮線は北海道の最初の鉄道で、明治政府は日本の近代化を図るため、 石炭など北海道の豊富な地下資源に注目し、 その開発と輸送を目的に小樽港と官営の炭鉱の幌内炭鉱間の鉄道建設に着手して、 北海道で最初、日本で3番目の手宮線が明治13年に35.9キロが11か月の工期で開通したとか。 鉄道工事はアメリカの技術によって進められ、蒸気機関車もアメリカから輸入された。 開拓時代を走りぬいた「しづか号」が北海道鉄道記念館に現存。  

小樽地名の由来:地名はアイヌ語の「オタ・オル・ナイ」(砂浜の中の川)に由来するが、 現在の小樽市と札幌市の境界を流れる星置川の下流、小樽内川を示していた。 河口にアイヌとの交易のため、松前藩によってオタルナイ場所(知行地)が開かれたが、 冬季に季節風をまともに受ける地勢ゆえに不便な点が多かったため、風を避けられ、 船の係留に適当な西方のクッタルウシに移転した。
しかしオタルナイ場所の呼称は引き続き用いられ、 クッタルウシと呼ばれていた現在の小樽市中心部が、オタルナイ(小樽内、尾樽内、穂足内) と地名を変えて、明治2年に小樽と表示される。

蝦夷地小樽の歴史は
安土桃山 (1596)文献上記載された最初の和人がオタルナイに入植する。
元禄三年 (1690)オタルナイ場所の小樽稲荷神社とタカシマ場所の高島稲荷神社が創祀される。
慶応元年 (1865)幕府はオタルナイを村並とする。人口は、1,143人と記録されている。
 

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