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文明開化の歴史的遺産
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明治浪漫 赤煉瓦建築 |
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大塚坂下通りの赤煉瓦 |
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痛みは殆んどない煉瓦庫 |
袖蔵だったのか大塚坂下通りに建つ |
出入り口は封印されている |
大塚坂下通りの吹上稲荷神社近くの赤煉瓦倉庫です。
店舗の袖蔵だったのでしょうか、アーチ式の出入り口があり往時の賑わいが感じられる。
今は使用していないのか、煉瓦倉庫の出入り口は鉄板で完全に覆いふさがれている。
特段の維持保存もされていないが、痛みもまったく無い。
東京都文京区大塚5-14。 |
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富士見坂: 大塚坂下通りを不忍(しのばず)通りにぶつかると、不忍通りを走る都電が昭和46年(1971)に廃止されたころ、
良く晴れた日に文京区大塚3丁目春日通りとの交差点の富士見坂上に立つと、正面に富士山の全景が見えていました。
当時は高いビルがほとんどなく、ゆっくりとした速度で坂を上り下りする都電の車窓からも、
シルエット富士の夕景を楽しめたのです。交差点近くはかなりの急坂、現在もそのままですが、もう見れません。
ビルの高層化に伴い東京都内で富士が見える富士見坂は現在18ヶ在所と激減です。 |
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大谷石の両山堂印刷所 |
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レッテルとは懐かしい言葉 |
壁面の社名にも味がある |
でんと構える大谷石の工場 |
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昭和29年(1954)建築の食品ラベル印刷の「両山堂印刷所」は、防災上から大谷石で造られたのです。
以前は印刷工場だったそうだが、現在は倉庫として使われている。
別棟の昔は本社事務所の入り口だったのでしょうか、その上には懐かいレトロ感溢れる
「レッテルは 上野池之端 両山堂」の文字看板が掲げられたままです。
(レッテルとは、瓶詰や缶詰のラベルのこと)。
同敷地内にはお屋敷らしき二階がベランダの、造りは大谷石で出来ていますが、正面に回るとちょっとしたお城風でした。
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現在は池之端 2丁目と呼ばれている不忍通りを挟んだこの地域は、かつては「池之端七軒町」と言われていました。
上の社名プレートがその証です。
池之端七軒町は昭和22年に下谷区から台東区へ、そして昭和42年に池之端と住居表示変更。
そして両山堂印刷所本社は、ちょうど都営トロリーバス(昭和43年に都電よりも早くに廃止された)
の「七軒町」停留所向かいにあったそうです。
尚、社名の「両山堂」は大正4年(1915)の創業ですが、
創業者の故郷が男体山と筑波山に挟まれていた栃木県鹿沼市の出身だったからとか。
東京都台東区池之端2-3-20。両山堂印刷。(現光画館) |
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大谷石(おおやいし)は軽石凝灰岩の一種。(日本列島の大半がまだ海中にあった新生代第三紀の前半、
火山が噴火して噴出した火山灰や砂礫が海水中に沈殿して、それが凝固してできたものとされている)
栃木県宇都宮市北西部の大谷町付近一帯で採掘される石材。
柔らかく加工がしやすいことから、古くから外壁や土蔵などの建材として使用されてきた。 |
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