歴史の 浪漫街道 赤煉瓦建築  関東大震災や戦火を潜り抜けて山の手線を支える煉瓦造りの連続アーチ橋
文明開化の歴史的遺産


明治浪漫 赤煉瓦建築


  赤煉瓦とガラス窓に映る甍   山の手線有楽町煉瓦造り連続アーチ橋

有楽町駅へ続く連続アーチ。09.12.16. アーチ内には全て店舗ある新橋方面。09.12.16.   山の手線有楽町赤煉瓦造りの連続アーチの高架は、 日本最長で、最大規模の明治時代の煉瓦造りの構造物であり、 関東大震災や戦火を潜りぬけて、100年を経てきた現在も現役で鉄道の大動脈を支えている。
有楽町駅方面を望む 連続アーチ橋の新橋駅方面

新橋駅から有楽町、東京駅へと続く煉瓦造りの連続アーチ橋の長さは約3キロ。
完成は明治40年(1907)であるが、 品川〜上野間は江戸時代に行われた江戸湾の埋め立て地であったため、軟弱な地盤で、約2万本の松が基礎として埋め込まれた。 また煉瓦は一つ一つ念入りに手で磨かれてから積まれた。

鋼鉄製にすることも検討されたが、当時資材は輸入となり、国内で調達でき騒音の心配がない煉瓦造りが採用された。 関東大震災後に造られた山手線神田〜上野間の高架は、鉄筋コンクリート造りに変わった。
 

アーチ内をタクシー事業所に使用。09.12.16. 鉄枠で路線支える内幸橋の架道橋。09.12.16. 他の架道橋も同じ御影石縁取り山下橋の架道橋。09.12.16.
高架アーチの事業所 補強し鉄路支える内幸橋架道橋 御影石縁取りの山下橋架道橋

高架下の全てのアーチには飲食店を中心に使われて、一部は通路橋として現在も現役です。 上記写真のように、銀座・有楽町の繁華街に近いことからタクシーの営業所もある。   此処だけ出入り口が別の高架下店舗。09.12.16. 完成時は煉瓦造りのみが高架を支えた。09.12.16.
高架下アーチ店舗入り口は?裏 高架を支える煉瓦造り支柱

地表が下がっていた為高架が高くなった。09.12.16. 細い橋脚が山の手線を支える。09.12.16.   高架下のアーチ内側は補強のためにコンクリート打ちが施されている。
完成直後は有楽町中央口架道橋のように煉瓦のみでの縁取りで、天井や間口が広かったのでしょう。
今だ現役の、か細い橋脚が大動脈を支えているのには驚かされます。
高架高い有楽町中央口架道橋 細い橋脚の有楽橋架道橋

山手環状線は駅数29・総距離は34.5キロですが、 「汽笛一声新橋を」の新橋〜横浜間の開業は明治5年 (1872)その後、幾多の変遷を経て環状運転になったのは大正14年(1925)。 山手線は低地と台地が入り組んだ地形を走るが、トンネルは一か所もない。 また踏切は現在は一か所しかありません。
駒込〜田端間の「第二中里踏切」その他は高架などで廃止されのです。
 

近代化遺産(幕末から第二次世界大戦期までの遺産)第一号は重要文化財の群馬県碓氷峠の煉瓦造りアーチ橋の鉄道施設で、平成5年 (1993)の指定です。 碓氷川に架かる煉瓦造りの 4 連アーチ橋で、明治26年(1893)に竣工、使用された煉瓦は約 200 万個。 正式名称は碓氷第三橋梁、群馬県安中市松井田町にある鉄道橋。一般にはめがね橋。  

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