歴史の 浪漫街道  明治浪漫 万世橋の赤煉瓦駅舎は関東大震災で崩壊するも、赤煉瓦高架ホームが歴史の証
文明開化の歴史的遺産


明治浪漫 赤煉瓦建築


  赤煉瓦とガラス窓に映る甍   始発駅の万世橋駅舎跡

規則正しいアーチが連なる赤煉瓦高架ホーム。10.01.29.   万世橋駅の開業時は中央本線の始発駅で、 駅名の由来は神田川に架かる万世橋に近かったことによる。
明治22年(1889)甲武鉄道の新宿〜立川間が開業して、 明治45年(1912)中央本線の始発駅として、万世橋駅の営業を開始した。 新宿〜新橋間はその後開通した。
甲武鉄道は明治39年(1906)国有化された。 甲斐国(山梨県)と武蔵国(東京都)を結ぶ目的を持って計画され、国名の頭文字を取って「甲武鉄道」 最初は「甲武馬車鉄道」であった。
昌平橋から望む神田川沿い高架ホーム

高架ホーム橋脚と万世橋親柱。10.01.29. 高架ホームの橋脚に残るレリーフ板。10.01.29. 万世橋からアーチが連なる高架ホーム。10.01.29.
万世橋駅舎の赤煉瓦橋脚 赤煉瓦橋脚の? レリーフか 万世橋から望む高架ホーム

万世橋駅舎は、東京駅と同様に辰野金吾が設計した。 1等2等待合室・食堂・バー・会議室等を備える豪華な赤煉瓦造りであった。 それは中央本線の始発駅であったこと、ここから両国駅方面への総武線を通す計画があったことによる。 なお万世橋駅の開業によって御茶ノ水と隣接していた昌平橋駅は役目を終えて廃止された。
赤煉瓦造りの万世橋駅舎と高架ホームのその後。
大正8年(1919)
万世橋〜東京が開通し中央本線の始発駅としての役目は終わり、同時に神田駅が開業。
大正12年(1923)
関東大震災により万世橋駅舎は焼失し、赤煉瓦造りに変わり簡素な駅舎が再建された。
昭和11年(1936)
東京駅から鉄道交通博物館が移転されて、結果万世橋駅舎は解体縮小された。
昭和18年(1943)
駅舎業務が休止(実質上廃止)され、駅舎は取り壊された。
平成18年5月
楽しまれていた交通博物館も閉館して埼玉交通博物館に移り、赤煉瓦の高架のみ残る。
 

◎ 中央本線の新宿駅から東京駅への延伸年度と出来事。
明治27年 (1894) 信濃町駅、四ツ谷駅開業。 (甲武鉄道時代)
  清国に宣戦布告(日清戦争開戦) 旅順を占領。
明治28年 (1895) 市ヶ谷駅、飯田橋駅開業。 (甲武鉄道時代)
  日清講和条約に調印する。
明治37年 (1904) 御茶ノ水駅開業。 (甲武鉄道時代)
  ロシアに宣戦布告(日露戦争開戦)
明治41年 (1908) 昌平橋駅開業。 (官設鉄道時代)
  ブラジルへの第1回移民出発する。
明治45年 (1912) 万世橋駅開業。 (官設鉄道時代)
  白瀬中尉が南極に日章旗を掲げる。
大正 8年 (1919) 神田駅開業。万世橋〜東京延伸開業。 (官設鉄道時代)
  第一次世界大戦終結のパリ講和会議に日本が戦勝国五カ国の一員となる。
 


万世橋の欄干から望む高架は手入れ届かず雑草が覆う。10.01.29. 親柱には「まんせいはし」と刻まれている。10.01.29.   万世橋は寛文16年(1676)に架けられた筋違橋(すじかいばし)に遡る。 当橋は、徳川家将軍が寛永寺に詣でる時に渡る橋で、現在の昌平橋と万世橋との中間にあった。
筋違橋の名称は、すぐ南に筋違見附があったことによる。
赤煉瓦高架ホームと万世橋 昭和5年の親柱は「まんせいはし」

明治5年(1872)筋違見附が取り壊され、翌明治6年(1873)にその石材を再利用して、 筋違橋の場所にアーチ二連の石造りの橋が完成し、当時の東京府知事大久保忠寛が萬世橋(よろずよばし)と命名したが、 次第に「まんせいばし」という音読みの方が一般化した。眼鏡橋とも呼ばれた。日本初の石橋とされる。 昭和5年(1930)に長さ26m、幅36m、石及びコンクリート混成の現在のアーチ橋に架け替えられた。
もと秋葉原の電気屋であった「肉の万世」(昭和24年の創業)も、万世橋が社名の由来。
 

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