歴史の 浪漫街道  明治浪漫 札幌開拓の明治23年建設された明治の面影残す重厚な赤煉瓦建築は現在も現役
文明開化の歴史的遺産


明治浪漫 赤煉瓦建築


  赤煉瓦とガラス窓に映る甍   サッポロビール博物館 / ビール園(旧製糖工場旧開拓使麦酒)

赤煉瓦の重厚な外観が明治を伝える。'10.06.18.
開拓使のシンボルの北極星を屋根に掲げる明治時代の赤レンガ建築

サッポロビール博物館.'10.06.18. サッポロビール園。'10.06.18.   明治23年にテンサイ糖の札幌製糖叶ヤレンガ工場として建設、 現在も左側がビール博物館、右側がビール園として使用されている。
札幌市東区北7条東9丁目2-10
サッポロビール博物館 蔦が絡むサッポロビール園

サッポロビール園のシンボル、赤レンガ。明治23年(1890)にテンサイ糖の札幌製糖轄H場として建設されたものです。 これが現在も博物館とビール園として機能している建物である。 設計には北海道庁の建築課のほか、基本設計にドイツにあるサンガーハウゼン社が担当にあたっている。
 

明治9年(1876)開拓使麦酒醸造所開業。 明治19年(1886)には大倉組商会へ払い下げられて「麦酒醸造場」へ名称を変更。 翌年に浅野総一郎・渋沢栄一らがこれを買い取り、札幌麦酒会社を設立した。
これが現在のサッポロビール株式会社の前身なのです。
  明治23年建築の47.5Mの煉瓦造り煙突。'10.06.18.
47.5Mの煙突

煙突の基礎の重厚なボイラー室。'10.06.18. 100年以上建ち続ける巨大な煙突。'10.06.18.   空に高くそびえる煙突も赤色に輝くレンガの外壁も当時のままです。 明治の面影を残す貴重な歴史的文化遺産です。
ボイラー室の煙突47.5Mも明治23年の建造です。
煙突支える重厚なボイラー室 ビール園の前庭に建つ赤レンガ煙突

テンサイ糖工場は閉鎖され、明治38年(1905)札幌麦酒の製麦所に改修され、 昭和38年(1963)までは製麦工場として使用され、1967年に建物3階部分へ「開拓使麦酒記念館」を開設し、 昭和57年(1982)に「サッポロビール博物館」として正式に開館。 そして昭和61年(1966)には、隣接してサッポロビール園が誕生したのです。  

サッポロビール博物館の明かり採り入れの小窓と階段ロビー脇の大窓。 建物内部かでらは博物館とビール園が一体の建築物とは気付かない。   レンガ積立の痕跡残す明かり採り入れ窓。'10.06.18. 明治の面影のロビーの大窓。'10.06.18.
明かり採り入れ窓 明治の面影のロビーの大窓

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