歴史の 浪漫街道  明治浪漫 中之島にいぶく赤煉瓦建築は大阪北浜株式仲買商の風雲児岩本栄之助の寄贈
文明開化の歴史的遺産


明治浪漫 赤煉瓦建築


  赤煉瓦とガラス窓に映る甍   中之島中央公会堂

灼熱の中に悠然と佇む左右対称の中央公会堂。'10.08.29.
中之島の灼熱の炎天下にも負げず毅然と建つ左右対称の中央公会堂

中之島公会堂。 建設: 大正7年(1918)  大阪市北区中之島1-29。
中央公会堂の建設は大阪北浜の株式仲買商であった岩本栄之助氏(北浜の風雲児と呼ばれた相場師) から建設資金として100万円の寄付を受けたことによりはじまりました。 明治45年(1912)の建築設計競技により最優秀案となった岡田信一郎氏{明治16年(1883)〜昭和7年(1932) 代表作は現・鳩山会館。歌舞伎座。ニコライ堂修繕等} の原案に辰野金吾氏と片岡安氏が手を加えて設計され、 大正2年(1913)建設工事が着手されました。
 

公会堂を市役所側から望む。'10.08.29. 丸いドーマーの中央本館。'10.08.29. 東端の入口。'10.08.29.
西側からの本館 丸いドーマー5個の中央の本館 東口の入口

建物は鉄骨煉瓦造地上3階・地下1階建て。意匠はネオ・ルネッサンス様式を基調としつつ、 バロック的な壮大さを持ち、細部にはセセッションを取り入れており、 アーチ状の屋根と、松岡壽(岡山藩士・洋画家)によって天地開闢が描かれた特別室の天井画・壁画が特徴となっている。  

北浜から望む公会堂。'10.08.29. 赤煉瓦と白ラインが印象的。'10.08.29. 重厚な公会堂東正面。'10.08.29.
南側の北浜から望む 南東の白いラインが印象的 公会堂東正面

平成14年中之島公会堂は現在に甦る。ユニバーサルデザインの見地から館内のエレベーターの増設、 段差昇降機、スロープを新設し、バリアフリー化を図りまた、迫り舞台の新設、音響・照明・舞台装置を全面改修し、 荘厳な雰囲気の中で講演会やコンサートなどさまざまなイベントに対応可能にしたのです。
 

淀屋橋の欄干燈。背後は大阪市役所。'10.08.29. 水上バスアクアライナー。'10.08.29.
どっしり構えた淀屋橋の欄干燈 水上バスアクアライナー淀屋橋港を急旋回して天満橋へ

岩本栄之助氏 (北浜の風雲児と呼ばれた相場師・株式仲買商) 明治10年(1877)〜大正5年(1916) 大阪の両替商「岩本商店」を営む岩本栄蔵の次男として、大阪市南区安堂寺橋通2丁目(現・大阪市中央区南船場2丁目付近)に生まれる。 日露戦争に出征し陸軍中尉。明治39年(1906)4月に父栄蔵の家督を相続し、株式仲買人となる。 明治40年(1907)の株式市場の大暴落時に、野村徳七(野村財閥創設者)ら大阪株式取引所(現大阪証券取引所)の仲買人らの訴えで全財産を投じて市場を買い支え、 北浜の仲買人らを救う。その確固たる信念と、信念を曲げない勇猛心で、株式界に認められるところとなる。 明治44年(1911)父栄蔵病死の知らせを聞く。その供養も兼ねて、大阪市に金百万円を寄付する。 大正5年相場で大損失を被った栄之助は自殺を図る。  

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