歴史の 浪漫街道  明治浪漫 大阪北浜の赤煉瓦建築の旧大阪教育生命保険は数奇な歴史を刻み続ける
文明開化の歴史的遺産


明治浪漫 赤煉瓦建築


  赤煉瓦とガラス窓に映る甍   旧大阪教育生命保険

北浜で数奇な運命背負う赤煉瓦の旧大阪教育生命保険。'10.08.29.
難波の北浜で数奇な運命たどった赤煉瓦の旧大阪教育生命保険

旧大阪教育生命保険 建設 明治45年(1912) 設計:辰野金吾
浪速教会、芝川ビル、八木通商などレトロビルが立ち並ぶ船場の一角に毅然と建っているレンガ造りの建物。  大阪市中央区高麗橋2-6。
大阪教育生命の後、大中証券と変わり50年余り使用されたが、ユニコム証券となり、 2002年に日本アジア証券に統合。
2002年に「シェ・ワダ高麗橋本店」という和田シェフのフランス料理の店、 になるも既に2008年で閉店。現在はレンタルルームとして営業中。
 

4連続するドーマー窓。'10.08.29. 暖炉の煙突。'10.08.29. 魔除け怪獣か。'10.08.29.
4連続するドーマー窓 左隅の暖炉の煙突 右隅の魔除けか遊びのピエロか

左端の突起物は暖炉の煙突です。 もう一方の右端には動物の顔のようにも見えるライオンか、ピエロにも見えるが、魔除け怪獣なのでしょう。  

隣接の左手には吉兆本店が店を構えています。 暖簾分けの形で長男湯木敏夫が本吉兆、長女の婿湯木昭二朗が東京吉兆、次女の婿徳岡孝二が京都吉兆、 三女の婿湯木正徳が船場吉兆、四女の婿湯木喜和が神戸吉兆を継承した。 昭和5年創業の日本料理の名門も残念ながら平成20年(2008)に偽装問題で船場吉兆が廃業です。   隣接の左手には吉兆本店。'10.08.29.

隣接の浪花教会。'10.08.29. 旧大阪農工銀行。'10.08.29. 芝川ビル。'10.08.29.
隣接の右側は浪花教会 旧大阪農工銀行の八木通商 芝川ビル

御堂筋と堺筋の間には近代建築がたくさん残っており、どっしりとした近代建築が並ぶ。
○ 浪花教会:昭和5年(1930)建設。設計:竹中工務店。大阪市中央区高麗橋2-6-2。
○ 八木通商。大正6年(1917) 設計:辰野金吾 昭和4年(1929)改築。
  旧大阪農工銀行。三階は後に増設です。 中央区今橋3丁目2番1号。
  昭和43年(1968)、この建物を縁あって八木通商が購入し、現在も使用。
○ 芝川ビル。昭和2年(1927)、設計:本間乙彦、渋谷五郎。施工竹中工務店。
  外壁は南米マヤ・インカの装飾を纏った。中央区伏見町3丁目3-3。
 

難波の北浜 土佐堀川に沿いの「船場の北の浜(大阪では河岸(かし)をさす)」にあたる。 北浜(きたはま)は、大阪市中央区の船場北端の町名。 「北浜」といえば、特に金融街として有名な北浜一丁目・北浜二丁目と(北浜駅)付近の場所の通称と用いられることが多い。 ここには大阪証券取引所があり、東京・兜町とともに日本証券界の二大中心地となっている。
江戸時代初期から商業経済中心地帯で、淀屋辰五郎に起源する米市場(後の北浜会所)や金相場会所があり、米問屋、米仲買、両替屋が集積していた。 明治11年(1878)には大阪株式取引所(現・大阪証券取引所)が設置され証券街として発展。
 

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