歴史の 浪漫街道 明治浪漫  名古屋の赤煉瓦建築は現存する我が国最古の控訴院建築で国の重用文化財
文明開化の歴史的遺産


明治浪漫 赤煉瓦建築


  赤煉瓦とガラス窓に映る甍   名古屋市政資料館。(旧名古屋控訴院)

我が国最古の控訴院赤煉瓦建築。'11.04.10.
赤煉瓦と白い花崗岩のコントラストそして銅板ドームの荘重なネオ・バロック様式の市政資料館

荘重で華やかなネオ・バロック様式の外観の、 煉瓦造としては最末期の大規模近代建築である。 旧名古屋控訴院は近代化の歩みを今に伝える歴史的遺産として、 平成元年(1989)に「名古屋市市政資料館」にと整備・再生された。  

名古屋市政資料館エントランス。'11.04.10.   名古屋市政資料館は当時の名古屋控訴院 (旧裁判所構成法の大審院=最高の司法裁判所=の下級で、 主として民事・刑事の控訴を管轄した裁判所で昭和22年(1947)に廃止)・ 地方裁判所・区裁判所として建設。
以来昭和54年(1979)に名古屋高等・地方裁判所が中区三の丸一丁目に移転するまで、 中部地方での司法の中心として60年近い歴史を持つ。
大正11年(1922)の建設。司法省営繕課設計。国指定重要文化財です。
名古屋市東区白壁一丁目3

ベランダには公正と正義の裁判の剣が光り輝いているが、 ドーム真下のエンブレム上部にある丸型の空白部分には、 かつて「菊の御紋」がはめ込まれていたとか。 なぜか終戦後に取り外されたままにされている。   裁判の象徴の神鏡と神剣。'11.04.10. 銅板ドーム。'11.04.10.
公正な裁判の証しの神鏡と神剣 重厚な銅板のドーム

階段手すりは大理石。'11.04.10. 公平象徴の天秤のステンドグラス。'11.04.10. 中央階段室のマーブル塗りの柱。'11.04.10.
ネオ・バロックの殿堂の階段 公平象徴の天秤のステンドグラス 中央階段室も重要文化財

中央階段室の手すりは天然大理石。 中央階段室のステンドグラスは元裁判所だったことから、 公正な裁判を象徴する天秤をモチーフにしている。  

北西角壁面。'11.04.10. 名古屋市政資料館の西南壁面。'11.04.10. 南東角壁面。'11.04.10.
市役所側から望む北西角 県庁側から望む西南壁面 主税町側から望む南東角


  昭和ロマン漂う建造物

名古屋市役所。'11.04.10.   名古屋市役所:昭和8年(1933)建造。 近代的な建築に和風の屋根を載せる帝冠様式のはしりとされる、 神奈川県庁舎の設計スタッフを招聘したと言われています。
塔の屋根は名古屋城を意識したもので、中央塔の上部に二層の屋根を付し、 頂部に四方睨みの鯱を載せています。 隣接する愛知県庁舎のデザインに影響を与えたことでも知られているそうです。  登録有形文化財の鉄骨鉄筋コンクリート造5階建て、地下1階、塔屋付。
 名古屋市中区三の丸3-1-1
中央時計塔の上部に二層の屋根

愛知県庁:昭和13年(1938)建設。愛知県建築課設計、鉄骨鉄筋コンクリート造・7階建。 銅版葺で、入母屋の櫓のような塔が三方にのっています。 壁は褐色のタイル張りですが、1階部は花崗岩を張り、 上層は城のような白壁の仕上げで、頂部に瓦屋根をのせています。
帝冠様式とは (昭和初期に鉄筋コンクリート造の現代建築に和風の瓦屋根を載せた和洋折衷の建築様式)
 名古屋市中区三の丸3−1。
  愛知県庁。'11.04.10.
銅版葺入母屋の屋根が帝冠様式

名古屋:平安時代末期の荘園名として、那古野荘と記載、そのほか名護屋、名越、 浪越などが表記されていた。 永正15年(1518)今川氏豊が那古野城(名古屋)を築き、織田信秀(織田信長の父)が、享禄5年(1532) 城主となり、信秀のあとを継いだ信長は、清須城に拠点を移し、那古野城は天正10年(1582)ころに廃城となる。 清須城には、甲斐甲府城主の徳川義直(徳川家康第9子)が封ぜられた。 これが、御三家筆頭の尾張徳川家の始まりです。 慶長15年(1610)名古屋城築城。 元和2年(1616)徳川家康、駿府城で没する。享年75才。
江戸時代には、名古屋と名護屋を併用。明治2年(1869)に尾張藩が名古屋藩に改称され、 名古屋に統一された。 明治 2年 (1869)版籍奉還が行なわれ、第16代藩主徳川義宣藩知事になる。
地名の由来は気候風土がなごやか、高い波が海岸を越える土地から浪越、など定かではない。
 

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