歴史の浪漫街道 イチョウの名木達 天平13年(741)からの歴史ある国分寺の鉄道学園跡地の武蔵国分寺公園
古木名木達の歴史的遺産


イチョウの名木達 ・ 都下


  ityou-8-.jpg(1207 byte)   武蔵国分寺公園

芝生広場のぎんなん通り。'12.11.24.
国分寺公園メインの円形芝生広場のぎんなん通りのイチョウ並木

平成14年(2002)に中央鉄道学園の跡地に開園した一周500mの円形芝生広場を中心に、 旧鉄道学園時代からの樹木や滝、池、噴水がバランスよく配置された水と緑のゆったりした都立公園です。 メインの泉地区(芝生広場)と隣接の西元地区(こもれび広場)がある。   国分寺市泉町2-1。 撮影:'12.11.24.  

円形芝生広場。'12.11.24. 円形芝生広場。'12.11.24.
ぎんなん通りイチョウ並木 芝生広場休息所脇のいちょう

公園中央口の車輪モニュメント。'12.11.24.   国分寺中央鉄道学園:  明治42年(1909)、鉄道院初代総裁の後藤新平によって各鉄道管理局 (東部・中部・西部・九州・北海道) ごとに鉄道院職員地方教習所が、東京には鉄道院職員中央教習所が設置されたのが始まり。
東海道新幹線の開業した昭和39年(1964)以降から赤字が続き、 昭和62年(1987)に国鉄が分割民営化される際に、国鉄の債務額の37兆円を返済する目的で敷地は売却され閉鎖された。
 車輪模った中央鉄道学園記念碑

こもれび広場の銀杏。'12.11.24.
芝生広場の南側に隣接するこもれび広場の中央に立つ一本のイチョウ

国分寺地名の由来; 天平13年(741年)に全国に蔓延した天然痘と飢饉から仏のカにすがって鎮め、国を護り民を救うために、 聖武天皇の命により建立された国分僧寺と国分尼寺(武蔵国分寺)がこの地にあったことに由来する。  

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