鑓水商人と絹の道
安政6年(1859)横浜開港に伴い、
多摩の一寒村にすぎなかった鑓水の農民達いわゆる鑓水商人は、
仕入れた国内特産品の生糸を、
馬や荷車あるいは自らの肩にかついで八王子八日町から多摩丘陵を越えて横浜で売り渡し、
帰路は珍しい西洋の文物を持ち帰り、明治の文明開化の伝播に大きな役割を果たした。
生糸は八王子産はもちろん信州や甲州、
上州の糸も八王子へ集積されこの道(絹の道)を経由して横浜へ運ばれた。
この交易により鑓水には巨万の富を築いた豪商が誕生した。
しかしながら絹の道の繁栄は長くは続かず、明治政府による製糸工場や鉄道網、道路網の整備により、
わずか50年でその役割は急速に失われ、やがて歴史の彼方へ消え去った。
それとともに栄華を極めた鑓水商人達も相次いで没落した。 |
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