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古木名木達の歴史的遺産 |
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イチョウの名木達 ・ 都内 |
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大手町震災イチョウ (東京のイチョウ標準木) ’13 |
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千代田区大手町1丁目にある大手濠緑地の震災イチョウと勤皇の忠臣の和気清麻呂像 |
この公孫樹は旧・文部省庁舎(現在の毎日新聞社本社ビル=パレスサイドビル)にあった。
植樹は江戸時代末期の1860年ごろで現在の樹齢は約150年とか。
大正12年(1923)9月に関東大震災が発生。東京市中は猛火に呑まれ、この木も樹皮の一部が炎と高温で変質するが焼失は免れた。
しかし周囲の樹木はこの木を除いてほぼ全部焼失し、以降「帝都復興のシンボル」として注目を集めた。 |
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大手濠緑地にある関東大震災から奇跡的に焼失を免れ蘇生復活した震災イチョウ |
その後、帝都復興事業による区画整理が行なわれることとなり、「震災イチョウ」も伐採の対象となったが、
後世に残すべきと当時の中央気象台長・岡田武松が復興局長官・清野長太郎に願い出て、
了承され旧文部省庁舎の一ツ橋から、中央気象台のすぐ近くの現在地に移植された。 |
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幹の根元から樹皮が焼け落ちている |
震災時の炎が上部の樹皮まで剥がす |
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幹裏面の1/3の樹皮は震災で無いが樹勢は豊か |
上部の枝葉まで瑞々しく生い茂り黄葉している |
樹勢豊かに見事復活したこの「震災イチョウ」を気象庁は東京におけるイチョウの標準木
(黄葉の現象時期の決定木)として観測の対象としている。 |
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お堀端の平川門から望む内堀通りを背景に茂る震災イチョウと江戸城石垣上の松林 |
江戸: 川(江)の入り江(戸)というのが定説で平安時代末期にできた地名と思われます。
江戸(東京)の地に最初に根拠地を置いた武家は江戸重継であり、
その居館跡に太田道灌が長禄元年(1457)に築いた平山城が江戸城の基礎。
徳川家康が天正18年(1590)に江戸城に入城した後は幕府によって段階的に改修された結果、
総構周囲約4里と、日本最大の面積の城郭になった。
第15代将軍の徳川慶喜が大政奉還を行い、徳川幕府の終焉とともに江戸城は慶応4年(1868)明治新政府に明け渡された。 |
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