歴史の浪漫街道 イチョウの名木達 樹齢500年の老木が戦火から樹勢が見事に蘇った新宿幸國寺の大銀杏
古木名木達の歴史的遺産


イチョウの名木達 ・イチョウの名木 都内


  ityou-8-.jpg(1207 byte)   新宿 幸國寺

山門前納骨堂琉璃殿脇の冬桜。09.12.02. ブロック塀前の天然記念物看板。09.12.02.   幸國寺は寛永7年(1631)の開山。 開基壇越(一番最初の檀家)加藤清正が、「関が原の合戦」 以降の戦乱の余韻がまだまだ残る荒んだ時代をうれい「国の平安」、 「太平の世」になることを願い「幸せな国を目指す寺(幸國寺)」の発願で創建される。
新宿区原町2-20。 撮影:09.12.02.
山門前参道脇の冬桜(四季桜) 無粋なブロック前の文化財看板

幸國寺大銀杏は東西にあり、共に樹齢五百年の新宿区内最大の銀杏。 幹周5.2m 樹高約16m 推定樹齢は500年。 手前の墓地入口に近いほうのイチョウが雌株で樹形が崩れているが、 区の天然記念物に指定された樹で、 大枝の欠損があり小枝も少ない銀杏です。奥が雄株のイチョウです。   納骨堂琉璃殿前から望む大銀杏。09.12.02. 雄株はいまだ黄葉せず。09.12.02.
西側の手前に立つ雌株 いまだ黄葉せぬ奥に立つ雄株

この地が加藤清正の下屋敷の一つだったことから「清正公お手植えの大銀杏」 と言い伝えられ平成3年に新宿区天然記念物に指定されております。  

樹勢盛り返した手前の雌株。09.12.02.   幸國寺の記録の碑によれば
西側の大銀杏は太平洋戦争の戦災に遭いながらも、北側からの炎に立ち塞がり南側の家屋への類焼を防ぎました。 その為に傷みが激しく、大風や着雪により大きな枝がたびたび折れ、辛うじて樹形を維持していた。
平成十年には、突然緑の葉を落としはじめ異常な事態になりました。 取り急ぎ専門家に、応急処置をお願いしたが、体力の無い樹木のため徹底的な治療が必要と診断され、 幸い五百年の時間を失う前に「大銀杏延命施術」を展開し、危険な状態は回避することができたと、 記録の碑に記されている。

加藤 清正: 安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名、肥後熊本藩初代藩主。
永禄5年(1562)尾張国の鍛冶屋・加藤清忠の子として、尾張国愛知郡中村(現在の名古屋市中村区) に生まれる。父は清正が幼いときに死去したが、母・伊都が羽柴秀吉の生母である大政所の従姉妹 (あるいは遠縁の親戚)であったことから織田信長の武将として頭角を現し天正元年(1573) 近江長浜城主となったばかりの秀吉に小姓として仕え、天正4年(1576)に170石を与えられた。 清正は秀吉の遠戚として将来を期待され、秀吉に可愛がられ豊臣秀吉の家臣として仕え、 各地を転戦し武功を挙げ肥後北部を与えられた。
智勇兼備の名将として知られているが築城の名手であり、熱心な日蓮宗の信徒でもあり日蓮宗の寺を数多く創設した。 秀吉没後は徳川氏の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって肥後熊本藩主となった。 「賤ヶ岳七本槍」の一人である。主君秀吉の死後も豊臣家に忠義を尽くしたことが有名。
 

編集後記: 墓地内にある東西の大銀杏には、不心得者いるのか貴重な石碑もあり参拝者以外立ち入り禁止の看板。 大銀杏に近寄れず残念です。 又手前の雌株の大銀杏の枝には、銀杏をキャッチする大判の青色ネットが設置されている。 チト無粋な感じがすのは編集者だけでしょうか。 いずれも残念なことです。  

yahoo!japan 登録サイトのHPです。

  「イチョウの名木達・鳩森八幡神社」にリンク。 「イチョウの名木達」トップページにリンク。