歴史の浪漫街道 イチョウの名木達 王子神社の一対の大銀杏は音無川(石神井川=親水公園)の崖上に立つ
古木名木達の歴史的遺産


イチョウの名木達 ・都内 王子神社 


  ityou-8-.jpg(1207 byte)   北区 王子神社

崖下は桜並木の親水公園。09.11.20. 大イチョウを親水公園から仰ぎ見る。09.11.20.   王子神社。
音無川(石神井川)左岸崖線の肩の部分に高くそびえ立つ階段脇大銀杏と社務所裏の銀杏。 親水公園から仰ぎ見るか、明治通り側から全体が見ることができる。 左手の都指定天然記念物の大銀杏は、幹回り5.2m、樹幹の先端部は欠損しているが、 高さ24.2mで、ほぼ自然樹形を保っている。 東京都北区王子本町1-1-12。
明治通りから望む大銀杏と黄葉銀杏 仰ぎ見る大銀杏

王子神社の創初めについては、飛鳥山公園内の「飛鳥山碑」に書かれている。 それによると元亨二年(1322)に領主の豊島氏が熊野より勧請したことが始まりとされ、 その頃にイチョウが植えられたとすると、700年近い樹齢です。
戦災により王子神社の社殿や太田道灌が雨宿りをしたという伝説を持つシイの大木など おおくのものが失われた中、この大銀杏は生き延び、今も高台から街の移り変わりを静かに見つめている。
 

王子駅北口からの階段参道から仰ぎ見る大銀杏と社務所裏の黄葉銀杏。
残念ながら神社境内脇の崖上に立つ二本の大銀杏のため、 境内からはイチョウの全体は見ることができず、 崖下の親水公園から仰ぎ見るか、対岸の飛鳥山公園から遠望するのみです。
  天然記念物の大銀杏を階段参道から見る。09.11.20. 樹齢感じる太い幹。09.11.20. 社務所の裏庭の黄葉大イチョウ。09.11.20.
崖上の大銀杏 樹齢醸し出す 社務所裏の黄葉イチョウ

便利な無料ミニモノレール。09.11.20. 中央に明治通りの西洋杉が視界を遮る。
飛鳥山公園のミニモノレール 飛鳥山公園から望む左側の大銀杏と右側の社務所裏の黄葉銀杏

H21年7月に開通した飛鳥山公園のミニモノレール:  王子駅中央口の飛鳥山公園入り口駅から飛鳥山山頂駅の間48m、傾斜角度24度、標高差17mを2分で結ぶ。 実態は公園内斜行エレベーターです。
飛鳥山公園: 桜の名所に仕立て上げたのは、八代将軍徳川吉宗でした。約280年前、 吉宗が享保の改革の施策のひとつとして、江戸っ子たちの行楽の地とするため、 飛鳥山を桜の名所にしたのです。 こうして江戸の新しいお花見の名所として誕生した飛鳥山は、当時、 桜の名所地では禁止されていた「酒宴」や「仮装」が容認されていたため、 江戸っ子たちは様々な趣向を凝らして楽しみました。飛鳥山は、 明治6年、太政官布達によって、上野公園・芝公園・浅草公園・深川公園とともに日本最初の公園に指定された。
 

明治通りと親水公園を挟んで崖上の大銀杏を望む。09.11.20. 崖上の大銀杏と並ぶ社務所裏の黄葉した銀杏。09.11.20.
崖上の天然記念物の大銀杏 社務所裏の黄葉イチョウ

荒川(現隅田川上流)、石神井川の河岸には「豊島」という地名があり、清光寺、西福寺などという豊島氏にゆかりのある寺院が多く、 かなり文化的遺跡を残していて優れた政治を行なった長い歴史を持っている。 豊島氏は、南武蔵(主に現代の東京都周辺)に勢力を持っていた武家。 平姓秩父氏の一族で、武蔵国豊嶋郡から発展し平安時代から室町時代にかけて国人系領主として存続した。豊嶋氏とも記される。 鎌倉時代に分かれた支流に安土桃山時代まで陸奥国で大きな勢力を持った葛西氏がいる。 豊島氏は紀伊国から熊野権現を勧請し、郡内に多くの熊野神社を設けた。その最大のものが王子神社である。 武蔵豊島氏は新興勢力の太田道灌に抵抗して、江戸北部においてしばしば交戦していたが、 文明9年(1477)石神井城で壊滅的な敗北を帰して滅亡していった。  

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