歴史の浪漫街道 イチョウの名木達 日暮里の高台に鎮座する諏方神社は樹木に覆われ中心にイチョウが立つ
古木名木達の歴史的遺産


イチョウの名木達 ・ 都内


  ityou-8-.jpg(1207 byte)   日暮里 諏方神社

nipori-suwa.jpg(12996 byte)   諏方神社は、諏訪台の高台に鎮座しており、日暮里(旧・新堀)村・谷中町の総鎮守で、元久2年(1202) 領主の豊島左衛門尉経泰(鎌倉時代末期の武将)が 諏訪大社(長野県諏訪市)を勧請と伝えられます。
崖下に続く地蔵坂は、諏方神社の別当寺であった隣接の浄光寺、景勝醸し出すような別名雪見寺がある。
東京都荒川区西日暮里3-4-8。
境内に多くのイチョウが立つ

諏訪台は縄文・弥生時代から人々が生活を営んでいた場所である。 江戸時代には四季折々の景色を楽しむ客で賑わった。 安藤広重の「名所江戸百景」の中にも諏訪台の春景色が描かれ、 また「土器投げ」という遊びが流行し、 「花の散るたびに土器それるなり」などの川柳もある。   西日暮里駅から神社への坂道。10.01.01. 焚火の煙が高台を包む。10.01.01.
西日暮里駅から諏方神社への坂道 高台の裾をJR山の手線が走る

「土器投げ」(かわらけ投げ)  厄除けなどの願いを込めて高い場所から素焼きや日干しの土器の酒杯や皿を投げる遊び。 花見の名所などで、酒席の座興として広まった。 飛鳥山公園や諏訪台では明治16年に鉄道の開通で禁止された。  

境内中央の社殿前の参道鳥居脇に注連縄で囲まれ凛として立つ神木の幹回り4.0mの大銀杏と、 既に黄葉して付き添うように立つ幹回り2.4mのイチョウがある。
神木の大銀杏の幹上部は落雷によるものか痛々しいほど大きく欠損している。
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伸びやかに立つ 大きく欠損した幹上部

谷中ショウガ: 諏方神社周辺(荒川区西日暮里2丁目・5丁目は、かって江戸時代からショウガの産地で、 農家の人達は豊作の祈願に当社を訪れた。 ショウガは保水力のある肥沃な土壌で栽培すると、柔らかく品質の良いものが穫れる。 この環境にぴったりの谷中で穫れるショウガはあまり辛くなく、クリーム色の地下茎の節に赤味が入り美しく、 スジも少なく味噌をつけて食べると、歯ざわりと風味が良く、江戸庶民の好んだ野菜のひとつです。
収穫時がちょうどお盆の時期にあたるため、商人や職人、谷中の寺社等が、 お中元の贈答品に利用したため江戸中の評判になり、ショウガの特産地となりました。 以来「谷中」の名はショウガの代名詞となり、今でも粋な符丁として、市場や居酒屋等で呼ばれています。 明治16年(1883)に上野と熊谷の間に鉄道が敷かれて急速に市街化が進み、大正末期には尾久、 さらに荒川を渡って埼玉県へとショウガの産地は移っていきました。
 

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