歴史の浪漫街道 魅惑の歴史紀行  自然と歴史に溢れた多摩よこやまの道と玉川上水緑道を愉快な仲間達と行く。
魅惑の歴史紀行 ハイキング


浪漫街道を行く ハイキングサークル


自然に親しみ山野を歩く。徒歩旅行です。 日頃ウオークで足腰鍛えた仲間達とより健康のためあるいは知らない土地を見聞したり、 自然の風景や歴史的な景観を楽しむために一定のコースや距離を歩く。 我がハイキングサークルは愉快な仲間達と楽しみながらシニアライフを謳歌するハイカー達です。

    第3回浪漫街道 玉川上水緑道 07.12.12.

拝島駅すぐ脇からのスタートです。07.12.12. ここでは上水の水量は満水です。07.12.12. 元気笑顔の内にと記念写真。07.12.12.
スタートの玉川上水の拝島 拝島上水橋付近の玉川上水 余力あるうちにとパチリ

今回の浪漫街道をハイクは玉川上水の拝島から鷹の台までの11キロ散策です。 このコースは平坦な上水沿いの遊歩道が完備されており、拝島から続くさくら並木は特に見影橋周辺が見事で、 昭和の森ゴルフ場や国立音楽大学、朝鮮大学校、武蔵野美術大学、創価学園が上水脇に点在するコースです。  

この間の緑道にはゆったりとした公園広場が少なく、 お楽しみのランチは小川橋で一旦上水から離れて東京都薬用植物園に向かう。 12月中旬ですが穏やかな日差しの中、あずまやのベンチに腰掛お握りをほおばる。
あらゆるケシを栽培している植物園です。東京都小平市中島町21−1。
  ケシ栽培で有名な薬草植物園でランチです。07.12.12.

さくら並木も見事な上水緑道(古木のヤマザクラは愛称子宝桜)。07.12.12. 清流の上水底はヤツデが生い茂り深く手掘り跡も残る。07.12.12. 小平中央公園のイチョウは落葉で池も埋め尽くす。07.12.12.
遊歩道は晩秋の雑木林緑道 鷹の台付近の上水は水もわずか ゴールの小平中央公園の黄葉を背景に

羽村取水堰で取り込んだ上水の水は、松中橋で砂川用水、上水小橋で野火止用水、 小川橋で新堀用水に夫々分水され、小平監視所で浄化され澄み切った水は川底に手が届く水量に減少している。 鷹の台周辺では上水開墾時の手掘り跡が残っている。 9時集合15時半帰着で 総行程16.5キロ 26,700歩でした。  

  syuuzu3.jpg(1409 byte)   第2回浪漫街道 玉川上水緑道 下見ハイク 07.11.25.

玉川上水開墾の弟の清右衛門と立つ兄の庄右衛門。07.11.25.  玉川上水緑道の全行程。07.11.25.
玉川上水開墾の玉川兄弟像 玉川上水緑道のハイキング全行程の案内図

玉川上水の羽村取水口から四谷大木戸まで40キロの下見ハイクです。 今回の予定はお仲間4名と羽村取水口から(途中から緑道の道は無い)拝島、鷹の台までの13キロ。 次回以降の第二弾は久我山までの14キロ。第三弾は四谷大木戸までの13キロです。
現在玉川上水緑道として開園されているのは、福生市の平和橋から三鷹市の牟礼橋までの23.8kmですが 上水の面影を求めて上流拝島から多摩川堤沿い散策もできる。
 

玉川上水: 江戸の人口が増えて井戸や小川だけでは飲料水を賄えなくなったため、 江戸幕府は多摩川の水を江戸に引くことを計画し、 承応2年(1653)に玉川庄右衛門、清右衛門の二人の兄弟が完成させたといわれており、 以後玉川上水と呼ばれるようになった。 上水は取水口である多摩川の羽村から四谷大木戸までの43kmに及ぶものですが、 この間の落差が100mと小さく勾配が緩やかなため、水を流すのに苦心したと伝えられている。  

玉川上水羽村陣屋跡。07.11.25.   玉川上水下見ハイクのスタート地点の羽村取水口の藁葺陣屋門。
玉川上水羽村陣屋跡: 上水道の取り締まり(水門・水路・堰堤等の修理改修)など上水管理など行う 役所の陣屋が置かれた。陣屋門は堰の淵を通る旧道に面して陣屋門の奥には陣屋敷、水番小屋があった。
陣屋門脇には上水完成時創建の木製の鳥居の玉川水神社がある。

多摩川堰の第一水門の羽村取水口。07.11.25. 玉川上水第二水門。07.11.25. 放流する小吐水門。07.11.25.
多摩川堰から取水する羽村取水口 玉川上水へ滔滔と流れ出す 取水しすぎた水は再び多摩川へ放流

玉川上水緑道。07.11.25. 欅の大木は開墾時代からなのだろうか。07.11.25. 時刻は15:45です。07.11.25.
拝島からは玉川上水緑道をハイク 鷹の台までには大木が彼方此方に 早くも晩秋の陽射しです

正式な玉川上水緑道は拝島平和橋からです。 今回は下見ハイクですから羽村取水堰からひたすら歩き歩き鷹の台を目指すのです。
小河内ダムから流れ出て多摩川羽村堰で取水された多摩川の水は小作浄水場や村山山田貯水池、 東村山浄水場等に送られ、分水されて、小平の小川橋からの水量は玉川上水の底が見えるほどの微量です。
9時から17時までの南大沢からの全行程は20.5キロ、33,200歩でした。
 


  syuuzu3.jpg(1409 byte)   第1回浪漫街道 多摩よこやまの道 07.11.14.

ハイキングのスタート丘の上広場の看板。07.11.14.   多摩よこやまの道は多摩市と町田市との境界線の尾根筋にあり、古代より武蔵野と相模野の双方を 眺められる高台として、また西国と東国を結ぶ交通の要衡で、鎌倉古道(鎌倉街道早ノ道、 鎌倉街道上ノ道、軍事戦略鎌倉道)や奥州古道、奥州廃道、古代の東海道などの歴史街道(古街道)が 縦走横断している。ハイキング行程は10キロ。

第1回目のハイキングは10時に南大沢駅前に16名の参加者が集合して、 京王線若葉台駅から1.2キロ先の多摩東公園丘の上広場が多摩よこやまの道のハイキングコースのスタート地点です。 ここから長池公園までの10キロが今回のコースです。
先ずは皆が元気なうちにと若葉台駅前で第一回目ハイクの記念写真。
  第一回目参加者全員の記念写真。07.11.14.

スタートの丘の上広場。07.11.14. コース脇の命名石塔。07.11.14. 古しのぶ防人見返り峠。07.11.14.
スタートの丘の上広場 石塔の道しるべ 秋の陽射しの防人見返りの峠

防人(さきもり): 飛鳥時代から奈良時代にかけて、東国(関東地方)や奥州(東北地方) などから九州の要地の警護のために派遣された兵役の武士たち。
防人見返り峠: 東国から遠く北九州で国防の兵役につく防人は、 再び故郷の土を踏むことはほとんどありませんでした。 国府の置かれた府中(大國魂神社)で無事を祈願してその後多摩川を渡り、 多摩丘陵の峠を越えて奈良の都や九州を目指したのです。 武蔵野を眺望できる横山の尾根道で故郷を振り返りながら、 家族との別れを惜しんだ峠なのです。

 

整備行き届いたハイキングコース。07.11.14. 鎌倉街道を横断。07.11.14.
ハイキング前半で皆さん活き活きです 車輌に注意して現在の鎌倉街道を横断です

秋の古民家庭園が昼食場所です。07.11.14. 青空のもと全員での昼食は格別です。07.11.14.
昼食場所は古民家庭園 皆さん青春に戻ったピクニック気分です

スタート地点から約4キロの有山家や加藤家の古民家庭園でのお待ちかねのランチです。 夫々手作り弁当を広げて皆さんピクニック気分の昼食です。  

鎌倉裏街道: 鎌倉街道の一つで、関所を避けた通称鎌倉裏街道は後に新選組となる 土方歳三や沖田総司らが、日野宿から小野路の出稽古にこの道を使っていたのです。
奥州廃道: 最も古い奥州古道で源頼朝の祖父の頼義、義家の奥州征討伝説のある 大国魂神社、百草八幡宮、箭柄八幡宮はこの道筋にある。
 

古を偲ばす展望広場の看板。07.11.14. 最終の休息所での記念写真07.11.14.   標高が145mの展望広場からの風景を太古以来の先人たちも繰り返し眺めていたのでしょう。 武蔵野の大地は多摩川やその支流の恩恵で肥沃な草原であり、 縄文時代から集落が点在していたのです。まさに歴史の浪漫街道です。

ハイクの後半は健脚自慢のメンバーでハイキング行程10キロの踏破にチャレンジです。 10時から15時半までの南大沢からの全行程は14キロ、24,000歩でした。  

多摩ニュータウンにはさまざまな時代の街道が多く走っている。 歴史的な古街道がこれほど集中しているのは全国でも珍しいのです。  


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  「浪漫街道を行くハイク・秋川渓谷」にリンク。 「浪漫街道を行くハイキング」にリンク。