歴史の浪漫街道 祭りだ!神輿だ!祭り神輿。 相模原のてんのうさまと呼ばれる天王祭りは現在では上溝夏祭りとして継承されている
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 祭り神輿


    上溝夏祭り (天王祭り) 平成28年7月 (毎年)

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上溝本町の祭典本部前でのお囃子山車8台による共演です

kamimizo-cyotin.jpg(18144 byte) kamimizo-tairu.jpg(14964 byte) 本宮 '16.07.24.(日曜) 17時〜21時。
上溝の夏祭りは、昔から、”天王さま”といわれ, 建造が百数十年を過ぎた神輿が今も夏祭りには氏子に担がれて氏子回りの渡御をしている。
古来よりの伝統を受け継いで、文化遺産として時代に伝えるよう伝承して守り続けられていたが、 戦後GHQにより亀ケ池八幡宮に集結が禁じられて、 「天王さま」という名も変わって、現在では「上溝夏祭り」と言われる。 神輿12基、山車8基。が祭典本部が置かれる上溝本町に集結する。
上溝祭り提灯 歩道のタイル絵

亀ヶ池八幡宮は神奈川県相模原市中央区上溝に鎮座する、創建は不詳ですが鎌倉時代の創建と言われる北相模の古社です。
祭神は応神天皇を主祭神とし、上溝夏の風物詩である八坂祭(天王さま)の素盞嗚尊他、五柱の神様を祀る。
 

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てるて通りを祭典本部前へとセイヤせいや!の掛け声で巡行してくる丸崎神輿

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文久元年(1861)建造の本町神輿は昭和61年に大改修されている

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天王祭り復活願って戦後に建造された神輿で左右に激しく倒す久保神輿

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珍しく屋根に擬宝珠を掲げる神明神輿と既に駐機している丸崎神輿

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弘化2年(1845)建造の四ツ谷神輿と連合で巡行の三つ巴紋の紅吹神輿

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上溝で最も古く文化6年(1809)建造の五部会神輿 昭和57年大改修している

kami-nobori.jpg(20616 byte)   上溝五部会 い組神輿連:
  戦後のGHQによる清祓いを受ける亀ヶ池八幡宮への宮入り集合は、天皇崇拝に繋がる神事として禁止されたが、 現在でも亀ヶ池八幡宮に参詣を続けている神輿は、上溝五部会と丸崎、虹吹の3町会です。

五部会とは五つの集落で構成された町会で、い組とは江戸いろはに真似て戦後に結成された消防組。
 

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祭典本部前で本町神輿と五部会の激しくしゃがみこむ神輿揉みの共演

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文久元年(1861)建造のせいや!セイヤ!の掛け声で巡行の石橋神輿

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夕暮れになると幻想的な提灯の明かりが揺れる四ツ谷の弓張細提灯神輿

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山車の演舞台で白狐が身振り手振りの踊り披露して祭りの人気者

上溝地名の由来: 中世には鳩川、姥川沿いに溝という地名が見られ 「上、下」に分けられて、
このうちの「上」に当たる部分が江戸時代に上溝村とされた。 八王子往還 (大山道、旧国道129号、現在は県道)が南北に貫通し、幕末から明治初期以降、 定期市が開かれるようになって商業中心地として、また養蚕業の展開を背景に繭や生糸の集散地としても急速に発展した。
 


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