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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! 祭り神輿 |
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相模原 上溝夏祭り H21年7月 (毎年) |
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上溝夏祭りのクライマックスは提灯を燈し祭典本部前交差点での勇壮で熱気の神輿揉み |
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上溝夏祭りは、もとは天王様と呼ばれて、その歴史は百数十年といわれ、
神奈川県北部最大の夏祭りです。
09.07.26.(日曜)14:30〜21:30. (宵宮と本宮は歩行者天国)
神輿13基(13自治会)の渡御と山車8基の巡行がてるて通りと、まつり通りで繰り広げられる。別途子供神輿9基 |
欄干に取り付けた山車 |
上溝地区のシンボルのタイル絵 |
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神輿の氏子回りを御渡り(おわたり)といって、道筋や仕来たりには定めがあって
白丁、鳥帽子、白足袋、草鞋で神輿を担いで一戸一戸を回り、
最高責任者が幣束をもってお祓いをして御神札を配って回りました。
戦後に公民館(自治会)が音頭を取り青年団が主体となって新しい方針が打ち出されて
古来よりの伝統を受け継いで今日まで続けられてきています。 |
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北相模総守護社の亀ヶ池八幡宮の八坂祭り「天王さま」が上溝夏祭りのルーツです。
天王さま御渡り(氏子回り)には八坂大神の幟をたてての五部会(元町・田中・本久自治会)の渡御です。
13基の中でも、最も古い文化6年(1809)建造の神輿です。 |
炎天下気合入れての担ぎ |
八坂大神の幟をたてて御渡り |
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五部会神輿の辻での神輿揉み |
押しては引き沈む担ぎ手 |
本町担ぎ手からの拍手喝采を受け |
五部会とは: 「下宿」「堂ヶ谷戸」 (現在の元町)と 「田中」と
「本郷」「久保ヶ谷戸」 (現在の本久)との 五の集落から命名されている。 |
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さすが祭典のお膝元、本町の神輿は見応えあります。
担ぎ手の印半纏に青のたすきが粋です。
文久元年(1861)寒川村の神輿を移籍したと言い伝えられています。 |
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山車を従え本町の御渡り |
休息後の本町の御渡り |
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本町の神輿揉みの披露 |
飛び跳ねて押し返す担ぎ手 |
差し上げで神輿揉み御挨拶 |
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日金沢自治会の御渡りは、古式に則り白丁、鳥帽子、白足袋衣装で御幣を掲げ、神輿を先導です。
日金沢は山車を保有せず、それに代わり炎天下にも負げず賑やかに子供神輿が続く。 |
古式衣装で御渡りを先導 |
炎天下子供神輿も頑張る |
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式典会場入り一番は田尻山車 |
式典会場へと虹吹自治会 |
夕日に照らされる石住 |
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気勢上げる久保自治会 |
爽やかクリーム色半纏の豊原 |
式典会場に集結の神輿達 |
上溝夏祭りは、7月下旬の土・日に開催される上溝に江戸末期から伝わる伝統と歴史を誇る祭りで、
上溝商店街通りを歩行者天国にして開催されます。郷土に古くから伝わる神輿13基、子供神輿9基、山車8台が繰り出される勇壮な祭です。
日曜日の午後5:00ごろから郷土に古くから伝わる神輿と山車が
各町内から商店街通り本町交差点の祭典本部前に大集合して神輿と山車の巡行が始まります。
夜のとばりがおりる頃には、それぞれの神輿に提灯の灯がともり、祭りの華やかさが演出されます。 |
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お神酒所へ戻る唯一擬宝珠の神明 |
嘉永5年(1852)建造の石橋 |
疲労困憊の丸崎自治会 |
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美形の田尻自治会 |
虹吹追い越す香田自治会 |
式典の殿を務める五部会自治会 |
上溝の神輿の中で古いものは文化6年(1809)の記録がある五部会の神輿、
弘化2年(1845)の四ッ谷の神輿、また嘉永5年(1852)6月吉祥寺の神輿札のある石橋の神輿などがある。
本町の神輿は文久元年(1861)寒川村の神輿を移籍したと言い伝えられています。
田尻は天保年間(1830〜43)溝村下宿宮大工喜左衛門(川越屋)の作と伝えられています。この神輿の特徴は鳳凰の頭が赤く塗られていることです。
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式典終え提灯取り付けのお神酒所へ急げいそげ |
組み立てられた提灯の取り付け |
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田尻の神輿揉みのご披露 |
振っては引き戻す神輿揉み |
差し上げで神輿揉み歓声の御礼 |
北相模総守護社の亀ヶ池八幡宮の八坂祭り「天王さま」という名も変わって、「上溝夏祭り」と言われるようになり、
神奈川県の祭り五十選に入る全町一つになってのお祭りで市の商業の振興を担っています。
この祭りは古い歴史と伝統のなか毎年七月二十七日(宵宮)・二十八日(本宮)の二日間行われていた。
現在は七月末の土・日曜日となり、神輿大小二十余基山車八台が氏子廻りをし、
本宮祭には町の中心地に集結し本町・元町・駅前通りと巡行するさまは、まさに勇壮です。 |
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