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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! 祭り神輿 |
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北千住新春初担ぎ 平成23年1月 (毎年) |
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淡い日差しの中を東睦会の三尺五寸神輿が鳥居前から目出度きやと元旦初担ぎ |
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北千住新春初担ぎ 大川町氷川神社 元旦 12時〜14時 主催千住祭連絡会
九の睦会持ち回り 今回は東睦会 |
千住七福神の氷川神社参道 |
簡素なPOP |
正月はやはりたき火 |
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睦神輿では珍しい作札 |
千住寿町巡行に出立つ |
担ぎ手の歓喜の雄叫び |
今回の持ち回り番は東睦会の神輿で、台座は三尺五寸(108cm)と大型です。
大川町氷川神社境内に神輿庫がある。
睦神輿としては珍しく作札が建てられ、
労働大臣賞受賞、人間国宝、堂宮彫刻師 高橋良雲作と表記されている。
巡行は大川町氷川神社〜大正通り南下〜千住寿町から大黒湯前(小休息)
〜日光街道(4号線)〜いろは通り商店街〜氷川神社と約2時間の巡行です。 |
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お江戸の銭湯の大黒湯前 |
男衆の粋な計らい華棒は女性陣 |
女性の熱気なのか華やかに |
「大黒湯」 これぞお江戸東京の銭湯。民の歴史的遺産です。大型の凛とした切妻屋根、重厚感と風格漂う唐破風、
これぞ宮大工真髄の伝統の技です。唐破風の下には鳳凰と大黒天さんの彫刻。
白壁の上には七福神の恵比寿さんと布袋さん。紛れもない東京銭湯の代表でしょう。
創業は昭和4年(1929)です。 掲載ページ:
唐破風大黒湯 |
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日光街道を千住新橋へと北進 |
妨げならぬように日光街道の端を巡行 |
千住宿は東海道品川宿、中山道板橋宿、甲州街道内藤新宿と並んで江戸四宿の一つで、
慶長2年(1597)に人馬引継駅となり、
寛永2年(1625)には東照宮建立時に日光道中の整備の一環として、千住周辺の集落を街道沿いに集めて造られ、
日光道中、奥州道中の初宿として定められた宿場町です。水戸街道はここから分岐していた。
そして芭蕉の奥の細道旅立ちの地でもある。 |
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千住宿場町通りの高札所 |
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千住宿の招福七福神 |
正月祝うようなシャッター絵 |
双龍会の新春正月の初笑 |
千住の由来: この辺りに人が住み着いたのは千年以上も前で、
後鳥羽天皇の建久年間(1190〜98) に源頼朝が奥州方面の防備として関所を設けたこともある。
千住は千寿とも書くが由来は幾つかある。
○嘉暦二年(1327)新井図書政次が隅田川で投網を打って千手観音を得たことから。
(新編武蔵風土記に記載されている)。
○千葉一族(下総の豪族で守護大名・戦国大名)が移り住んで千葉氏が住む村と呼んだ。
○この地で生まれた足利幕府8代将軍義政の愛妾千寿の名に因む。
尚、南千住駅に対して隅田川の北側にあるので「北千住駅」はあるがそういう地名はない。 |
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