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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! 祭り神輿 |
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富岡八幡宮 町会神輿連合渡御 (深川八幡祭り) 平成26年8月 (3年毎) |
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深川八幡祭りは別名水掛け祭りで豪快に歓迎の水を受け皆が頭を下げる駒番五十五番の深濱が殿を勤める |
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富岡八幡宮例大祭 '14.08.17.(日曜) 永代通り八幡宮前から53基の巡行 7時半〜15時半
寛永4年(1627)の創建で江戸勧進相撲発祥の地です。
江東区富岡 1-20 |
新川町会の御神酒所 |
深川祭りの深濱町会神輿を描くポップ |
五十三基の駒番 |
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富岡八幡宮の例大祭は「深川八幡祭り」とも呼ばれ、赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに 「江戸三大祭」
の一つに数えられています。
三年に1度、八幡宮の御鳳輦が渡御を行う年は本祭りと呼ばれ、
大小あわせて120数基の町神輿が担がれ、その内大神輿ばかり53基が勢揃いして連合渡御する様は
「深川八幡祭り」ならではのものです。約八キロの巡行路を練り歩きます。 |
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豪快水掛け祭りの町会神輿 |
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関東大震災で罹災し昭和元年に復興小学校として開校した中央区立明正小学校前を冬木町会の現代風手古舞が先導役 |
復興小学校とは大正12年に発生した関東大震災後に復興事業の一環として建築された一連の小学校の総称です。
東京市立小学校では全195校のうち、無傷で残ったものはたった2校でした。
復興事業にあたり東京市は、不燃化構造とするため鉄筋コンクリート建築を採用した。
設計は統一規格であるが外観デザインはそれぞれに独自のものが採用され、現在でも補強の上十数校が使用されている。 |
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駒番三十二番の台座三尺の冬木町会神輿 新調したとか |
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浅子周慶作の冬木町会神輿 |
大団扇と扇子で鼓舞する冬木町会 |
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駒番二十九番の深川一丁目神輿 |
三十一番深川北二丁目は高く舞いあげる水 |
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永代通りで消防団の消火栓からの放水で水飛沫にけむる駒番二十八の永代一町会神輿 |
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駒番五十五番 深濱神輿 |
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六天棒の深濱を江戸資料館通りを車載で転送 |
広い清澄通りで担ぎ手総出で三尺五寸を肩に乗せ |
深濱の自慢は台座三尺五寸、重さ1トンの後藤直光作の神輿。深川一の町神輿です。
先代の深濱神輿は、この神輿の1.5倍位の大神輿だったが残念ながら空襲で焼失。 |
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清澄3丁目(清澄白河)から清洲橋通り3丁目をワッショイわっしょいと威勢よく |
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清洲橋通りから隅田川の清洲橋を渡り箱崎を南下して新川の休息所を目指す |
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遠慮のない豪快な水掛けでただただ担ぎ手はうつむくだけの防御の深濱神輿 |
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消火栓の放水を受け箱崎から休息所の新川を目指し復興祈願大漁旗を掲げて悠然と殿を勤める |
深濱とは、昭和27年(1962)に解散した深川浦漁業組合の「深川濱」のことで、
旧深川猟師町十四ヶ町の漁師の誇りを、若睦が掲げる巨大な深濱丸の大漁旗に継いでいる。 |
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yahoo!japan
登録サイト フリ-ソフトで作成のHP。 |
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