歴史の浪漫街道 祭りだ!神輿だ!祭り神輿。 手造りの黒屋根の大神輿を初午祭で担ぎ出す塚越稲荷神社
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 祭り神輿


    塚越稲荷神社 初午祭 平成24年3月(毎年)

肌寒さを吹き飛ばすように威勢良い担ぎ手達。'12.03.11。
早春の花曇りのなか黒屋根の大神輿がサンロードを悠然と担がれてくる

稲荷社の朱塗り鳥居。'12.03.11. 祭り提灯が境内を飾る。'12.03.11.   塚越稲荷神社 初午祭
'12.03.11.(日曜)
  宮出し13時〜宮入16時
地元大工ら4名の手作り神輿で、昭和54年(1979)前後に建造の黒塗り大屋根の大神輿を担ぐ。
埼玉県蕨市塚越3-2。
神輿送り出した静かな鳥居と参道 震災復興の幟に囲まれた社殿

塚越稲荷神社。創建は不明だが、文化5年(1808)8月吉祥日銘の棟札がある。和樂備(わらび)神社の兼務社です。
蕨の織物業を発展させた高橋新五郎(文化文政時代)を、塚越境内に機(はた)神社として祀っている。 また塚越稲荷神社石段下の右側に建つ猿田彦大神碑は、文政13年(1830)に田村善太郎らが建造したのもで、 蕨宿の石工として有名な卯之助の作品です。が受付テントに隠れて観れず。蕨市指定文化財。
 

境内で肩慣らしの神輿揉み。'12.03.11. 大神輿ゆえ宮出しは鳥居脇から。'12.03.11.
一気に担ぎあげて境内で神輿揉みし 鳥居脇から神社通りへと担ぎ出す

初午(はつうま)は、2月の最初の午の日。稲荷社の縁日で雑節の一つとすることがある。 全国の稲荷社の本社である京都の伏見稲荷神社に、稲荷神社の祭神が降りた日が、 飛鳥時代の和銅4年(西暦711)2月11日であったとされ、 この日が初午であったことから、全国の稲荷社でこの日を祀る。
江戸時代には、この日に子供が寺子屋へ入門した。 本来は旧暦二月の最初の午の日であるが、現在では新暦2月の最初の午の日とされている。
 

先導する手作り山車。'12.03.11. 極端に細い胴が透けて見える。'12.03.11. 揉みもせず素直に神輿を馬に納める。'12.03.11.
大神輿を先導する山車 大屋根に比べ極端に細い胴 神輿揉みせず休息の木が入る

山車は3年前に完成の手造り山車。昨年大震災直後で祭り自粛して2回目の巡行です。

大神輿は塚越の地元大工たち4名での手作り神輿ですが、当事者達は当時の記憶が薄く昭和54年(1979)前後に完成とか。 黒塗りの大屋根の大きさに比べて極端に細い胴、朱塗りの4本の柱が大屋根を支える。 余りにも大きくなりすぎた神輿の修正工夫の結果、台座3尺6寸(110cm)には捻じれ防止の鉄板が組み込まれており、 担ぎ棒は特注で、結果的に非常に重い神輿となったのです。
 

小休止即担ぎ再開。'12.03.11. 駅前入らずショッピング街へ。'12.03.11. 細い路地での休息の木。'12.03.11.
休息後威勢よく巡行開始 大神輿ゆえ辻曲がりもソロリ 路地中でまたも小休止の木

各町会では小休止には一切ご接待が無い。アルコールによる無用な揉め事を防止してのこととか。 宮入後には境内で労をねぎらうご接待と、併せて神事の慎みを解いて平常にかえる直会が執り行われる。 祭り本来の仕来たりが、シッカリと引き継がれています。  

担ぎ手達喜びの雄叫び。'12.03.11.
雄叫びで担ぐ喜びを表現する担ぎ手たちに三回目の休息の木が入る

塚越の由来:  諸国巡礼の僧侶が経文を埋めて塚(経塚=経典を土中に埋納した塚)を築いたためにこの地を「古経塚腰」と称し、 これが変化して「塚越」になったという伝承がある。
また、これとは別に現在の川口市芝中田に落ち武者を埋めた塚があり、 その塚を過ぎた場所に集落にあったために「向う塚越」と称し、これが変化して「塚越」になったという伝承もある。
 


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