浅草神社奉賛会の舟祭概要より
江戸時代には、縁日である3月18日の大祭前夜(17日)浅草神社の一之宮・二之宮・三之宮三基の神輿を観音本堂外陣に
「お堂上げ」にて安置し、観音と三社権現の三人の神と共に一晩を過ごす。
この時には「神事びんざさら舞 (現在都民俗無形文化財)」が堂前の舞台で奉演される。
大祭当日(18日)には、各町会より山車が観音本堂前に参詣し、絢爛・豪華さを競い合う芸能を演じ、
随身門 (現在の二天門)を出て各町会へ帰る。
その後、神輿三基が「お堂下げ」にて本堂外陣から降ろされると、一之宮を先頭に浅草御門 (現在の浅草橋際)
の舟乗り場迄担ぎ運ばれました。そして待機している大森 (品川)在住の漁師によって供奉される舟に各神輿が乗せられ、
浅草川 (現隅田川)を漕ぎ上がって駒形岸或いは花川戸岸から上陸の後、浅草神社に担ぎ帰られた。
当時は浅草寺と一体の行事で、「観音祭」又は「浅草祭」とも呼ばれてもいたが、
江戸末期に廃絶して、昭和の時代に一度斎行されたものの、明治以降は神輿が氏子各町を渡御するのみとなる。 |
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