歴史の浪漫街道 祭りだ!神輿だ!祭り神輿。 浅草神社の三社祭り斉行700年祭で半世紀ぶりの舟渡御復活
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 祭り神輿


    三社祭り斉行700年祭舟渡御 平成24年3月(不定期)

霧雨の隅田川を54年ぶり舟渡御。'12.03.18.
隅田川の言問橋から東武線を潜り吾妻橋へと霧雨の中を宮神輿三基を載せて54年ぶり舟渡御

毎年5月に斎行され浅草に初夏を告げる三社祭は、正和元年(1312)に三社権現の神話に基づき行われた 「舟祭」がその起源と云われており、 平成24年度(2012)は三社祭斎行700年という記念すべき佳節の年で舟渡御復活。  

三社祭り700年POP。'12.03.18. 舟渡御パンフ。'12.03.18. 仲見世からの仁王門(宝蔵門)。'12.03.18. 三社祭舟渡御の主役の浅草神社。'12.03.18.
700年祭POP 舟渡御パンフ 雷門仲見世から仁王門(宝蔵門) 浅草神社の本殿

三社祭り54年振り舟渡御  平成24年3月18日(日曜)
土曜 午後7時太鼓の合図で神輿三基堂上げ開始  日曜午前9時半堂下げ開始
午前10時 神輿を引き屋台に乗せ宮神輿3基が四十四ヶ町巡行
午後2時隅田川舟渡御  午後4時駒形堂法要  午後5時半 宮神輿雷門前安置
午後6時宮神輿渡御  雷門→仲見世→浅草寺本堂前→浅草神社
 

浅草寺本尊示現会の「堂上げ」・「堂下げ」
平成12年(2000)には、浅草寺の仏事である「浅草寺本尊示現会」において、 古式「舟祭」の一部である浅草神社本社神輿三基の浅草寺本堂 「堂上げ」「堂下げ」が斎行され、一夜奉安する神事が、浅草の氏子の手によって復活、 3月中旬から下旬にかけて今日迄毎年斎行されている。
仏事と神事が同時に行われるこの行事は全国的にも希で、 神仏分離以前の浅草に根付く風習・文化・伝統が再現されると共に、 毎年5月の浅草神社例大祭(三社祭)へのプロローグとなる。
 

先導する猿田彦神。'12.03.18. あやめ連のお囃子屋台。'12.03.18. 粋で鯔背な鳶組頭衆。'12.03.18.
44ヶ町巡行を先導する猿田彦神 浅草あやめ連のお囃子屋台 粋で鯔背な木遣りの鳶組頭衆

鳥甲を被り一本歯の高下駄を履く道案内の猿田彦神に先導されて、 雷門通りの明治13年開業の神谷バーから江戸通りへと曲がる四十四ヶ町巡行の隊列。  

宮神輿一之宮。'12.03.18. 宮神輿二之宮。'12.03.18. 宮神輿三之宮。'12.03.18.
続いて擬宝珠鳳凰掲げる一之宮 擬宝珠が葱花の二之宮 擬宝珠が葱花の三之宮が続く

浅草神社の戦前にあった神輿は、徳川三代目将軍家光により寛永14年に建造されて、 以降300年間担がれたこの三基は文化財指定となり、替えて新たに昭和2年に三基建造されたが、 残念ながら戦災により全てを焼失した。
現在の三基の神輿は、昭和25年建造の一之宮は土師真中知命、昭和25年建造の二之宮は桧前浜成命、 昭和27年建造の三之宮は桧前竹成命が祭神です。
 

福聚の舞の七福神。'12.03.18. 隅田川東参道桟橋前の台船。'12.03.18.   舟渡御は隅田川の河口から約7キロ地点の右岸の東参道桟橋から遡上して、言問橋を潜り桜橋で折り返してから吾妻橋を潜り両国橋まで南下してから、 再度隅田川の蔵前橋、廐橋、駒形橋まで遡上して駒形橋西詰桟橋からの上陸です。
四十四ヶ町巡行の殿は七福神 東参道桟橋で待機する台船

隅田川東参道桟橋からの舟渡御。'12.03.18.
隅田川の東参道桟橋から神輿三基が乗船した台船が霧雨の中を上流の桜橋へと舟渡御開始

浅草神社奉賛会の舟祭概要より
江戸時代には、縁日である3月18日の大祭前夜(17日)浅草神社の一之宮・二之宮・三之宮三基の神輿を観音本堂外陣に 「お堂上げ」にて安置し、観音と三社権現の三人の神と共に一晩を過ごす。
この時には「神事びんざさら舞 (現在都民俗無形文化財)」が堂前の舞台で奉演される。
大祭当日(18日)には、各町会より山車が観音本堂前に参詣し、絢爛・豪華さを競い合う芸能を演じ、 随身門 (現在の二天門)を出て各町会へ帰る。 その後、神輿三基が「お堂下げ」にて本堂外陣から降ろされると、一之宮を先頭に浅草御門 (現在の浅草橋際) の舟乗り場迄担ぎ運ばれました。そして待機している大森 (品川)在住の漁師によって供奉される舟に各神輿が乗せられ、 浅草川 (現隅田川)を漕ぎ上がって駒形岸或いは花川戸岸から上陸の後、浅草神社に担ぎ帰られた。
当時は浅草寺と一体の行事で、「観音祭」又は「浅草祭」とも呼ばれてもいたが、 江戸末期に廃絶して、昭和の時代に一度斎行されたものの、明治以降は神輿が氏子各町を渡御するのみとなる。
 

一之宮が船首へ乗船。'12.03.18. 二之宮が右舷へ乗船。'12.03.18. 三之宮が左舷へ乗船。'12.03.18.
桟橋から一之宮が船首へ乗船 揺れる右舷へ二之宮が乗船 狭くなった左舷へ三之宮が乗船

水上も猿田彦神が守護して舟渡御を先導する。'12.03.18.
舟渡御の船団を浅草神社の神官と浅草寺の僧侶が共に乗船する和船の船首で猿田彦神が先導する

船首に福聚の舞の七福神と船尾に金龍の舞と白鷺の舞の一団が乗船です。
その他に随行するびんざさら舞の和船や、お囃子神楽の和船、奉賛会の屋形船など十数隻での舟渡御です。
  奉納舞の一団が乗船の和船。'12.03.18.
和船に乗船の奉納舞の一団

宮神輿三基を載せて吾妻橋から両国橋へと舟渡御。'12.03.18.
小雨降り続く中を台船に鎮座の各宮神輿が僧侶と神官に守られ河口の両国橋へと舟渡御

駒形堂に対峙する一之宮。'12.03.18. 法要待つ駒形橋脇の駒形堂。'12.03.18.   舟渡御から駒形橋西詰桟橋に上陸した宮神輿三基ですが、 駒形堂法要のため江戸通りを挟んで駒形堂に対峙したのは一之宮のみです。
駐機場狭く二之宮と三之宮は西詰桟橋に待機したままです。
その後三基揃って雷門から仲見世・浅草寺・浅草神社へと帰還です。
駒形堂と対峙する一之宮 法要のため開扉された駒形堂

浅草の地名の由来:  往古荒川・北・葛飾・足立・江戸川・墨田・江東・千代田・中央・港の各区はそのほとんどが海、 利根川の運ぶ自然堆積で遠浅の州となり、砂州となり、陸地と化していった。 武蔵野台地の外にできた外島は身の丈を覆う「深草」に対して、 中洲は丈の高くない草で蔽われていたので「浅草のところ」と呼ばれた。 浅草は鎌倉〜戦国期に見える豊島郡の地名で、浅草寺を中心とした一円の俗称である。  


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