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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! 祭り神輿 |
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武蔵一之宮小野神社末社祭り 平成24年4月(毎年) |
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随身倚像が守護する隋神門を潜って菊花紋が輝く宮神輿が威勢よく渡御出立つ |
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武蔵一之宮小野神社末社祭り '12.04.01.(日曜) 宮出し13:30〜16:00宮入
神社隋身門から京王線越えて川崎街道の聖跡桜ヶ丘駅前を往復。
東京都多摩市一の宮1-18。 |
一之宮小野神社の高張り提灯 |
本殿と共に朱色に染まる拝殿 |
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創建年代は不詳。一説には安寧天皇十八年(紀元前532年)の創建と伝えられる古社で、
武蔵一之宮の小野神社は、社格を誇るように社殿、鳥居、隋神門、賽銭箱、
神輿などに菊花紋章(十六菊の紋章)が取り付けられている。 |
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小野神社の境内社は14社。
末社殿の伊勢神宮内宮、伊勢神宮外宮、三嶋神宮、八坂神社、愛宕神社、安津神社、
日代神社、鹿島神社、子安神社、厳島神社、方便神社、秋葉神社と境内社の稲荷神社と堰宮神社。
末社殿は焼失したが昭和49年に再建され以降「末社祭り」が執り行われる。 |
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12社を祀る末社殿 |
末社殿内に祀られた12社 |
多摩市と府中市の小野神社は多摩川を挟んで鎮座し「延喜式神名帳」(延長5年(927年)に編纂完了)に「武蔵国多磨郡 小野神社」
と記載されている式内社(神名帳に記載された神社)の論社(推定社)である。
多摩川の氾濫にともない遷座を繰り返した結果2社になったか、どちらかが本社でもう一方は分祠であるともいう。 |
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神輿データ: 祭神は天ノ下春命 台座:三尺三寸(98cm) 建造年度は昭和8年(1933) 製作者は浅草・宮本重義
特記: 木彫や錺が見事 昭和30年頃まで大国魂の暗闇祭りに担ぎ込んだ一之宮の神輿で、
全面改修工事に入り、平成22年春の末社祭りは代理神輿で巡行して、平成23年は渡御中止で、改修後今回初の渡御です。
屋根紋や吹き返し、台座や飾棒にはきらびやかな十六菊の紋章が嵌め込まれている。 |
雅かに全面改修されてご披露 |
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小野神社大欅の鳥居前 |
京王線踏切目指す御太鼓 |
御太鼓に続き四天棒で威勢よく |
直径6尺(182cm)の大大鼓は昭和56年に作られ、当時としては大国魂神社の御太鼓二之宮の185cmに次ぐ、
日本で2番目の大きさだった。
ブビンガというアフリカ産の大木をくり貫いて作られ牛の皮が張られている。
両面打ちするが、打ち手撥の音は気にならぬが、反対面の撥音は胴内で共鳴して通ってくるのでズド〜ンと響いてくるとか。
それにしても両面打ちするのに、台車に太鼓斜めずらして搭載とは何故だろうか? |
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休息所に入り込む宮神輿 |
聖跡桜ヶ丘駅前交差点で折り返す祭礼隊列 |
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御太鼓がど〜んと響かせて隊列を先導し担ぎ手の掛け声と賑やかな祭り囃子の山車が続く |
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木像随身倚像(いぞう=腰掛けに座る像) 東京都の指定有形文化財。
墨書銘には二像のうち古い方の随身像は、元応元年(1319)因幡法橋応円・権律師丞源らが奉納、
寛永五年(1628)に相州鎌倉の仏師によって彩色などの補修が行われ、
その際新しい像が新調された。写真倚像は複製。 |
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神域守る隋身門左側の随身倚像 |
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境内守護の右側の随身倚像 |
京王線に聖蹟桜ヶ丘という駅はあるが、多摩市聖蹟という地名ではありません。
当時天皇が行幸なされた土地は「聖蹟」と呼ばれるようになり、行幸した連光寺の丘が桜の名所であることから
「聖蹟桜ヶ丘」という名称となりました。 |
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