歴史の浪漫街道 祭りだ!神輿だ!祭り神輿。 鉄砲洲稲荷神社の氏子町会神輿12基による連合宮入参拝
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 祭り神輿


    鉄砲洲稲荷神社 連合宮入参拝 平成24年5月(陰祭り)

宮入参拝を差し上げでご挨拶の銀座六・七丁目東町会。'12.05.04.
宮入参拝で息を合わせて差し上げご挨拶の銀座六・七丁目東町会神輿

鉄砲洲例大祭POP。'12.05.04. 宮元子供神輿の宮出し。'12.05.04.   鉄砲洲稲荷神社氏子町会神輿連合渡御
'12.05.04.(みどりの日) 12時〜17時。
町内巡幸を終えた各町内神輿が正午前から、 威勢の良い掛け声と共に大勢の氏子に囲まれて、隣接の鐵砲洲公園に続々と集まって12基が宮入参拝です。
前日の3日(祝日)鳳輦と宮神輿の巡行 (神幸祭)
東京都中央区湊1-6-7。
鉄砲洲POP 境内より宮元子供神輿の宮出し

鉄砲洲稲荷神社は室町時代の末期に埋立てが進み現在の京橋あたりに遷座、 寛永元年(1624)頃には埋め立てで新しい海岸となった今の新京橋へ遷座して八丁堀稲荷神社と称した。 明治元年(1868)に土地が収用され、新たな埋め立てできた現在地に移転し今日に至っている。  

  京橋四の部の宮入参拝
銀座八丁目東。'12.05.04. ← 年代不詳 浅草宮本卯之助作
 唐破風屋根、台座一尺八寸

昭和31年建造 行徳後藤直光作
延軒屋根 台座二尺  →
銀座六・七丁目東。'12.05.04.
先駆け参拝の銀座八丁目東 二番手の銀座六・七丁目東

銀座三丁目東。'12.05.04. ← 昭和27年建造、行徳後藤直光作、
唐破風屋根、台座二尺

昭和25年建造、浅草宮本卯之助作、
延軒屋根、台座二尺五寸 →
の銀座二丁目東。'12.05.04.
三番手の銀座三丁目東 駒札本二睦の銀座二丁目東

銀座一丁目東。'12.05.04. ← 昭和24年建造、行徳後藤直光作、
延軒屋根、台座二尺五寸
銀座六・七丁目西 町会神輿なし
銀座五丁目東 町会神輿なし
銀座四丁目東 町会神輿なし
 なお歌舞伎座は同四丁目東町会の氏子であり、 歌舞伎座の特別行事には本社宮神輿が呼応して渡御を行っている。
五番手の銀座一丁目東

  京橋五の部の宮入参拝
新富町町会。'12.05.04. 京橋五の部の町会神輿は濃紺の
各町会幟を掲げての巡行です。

← 昭和2年建造、浅草宮本卯之助作、
延軒屋根、台輪寸法3尺

昭和53年建造、浅草岡田屋布施作、
唐破風屋根、台輪寸法2尺  →
明石町町会。'12.05.04.
重量感ある新富町町会 明石町町会

入船一丁目。'12.05.04. 急に雨足が強くなってきた。

←  年代不詳、行徳後藤直光作、
延軒屋根、台輪寸法2尺

 昭和31年建造、行徳後藤直光作、
延軒屋根、台輪寸法2尺5寸 →
入船二丁目。'12.05.04.
入船一丁目 入船二丁目

入船三丁目。'12.05.04. ← 昭和29年建造、行徳後藤直光作、
延軒屋根、台輪寸法2尺3寸

昭和31年建造、本所石原町宮信作、
唐破風屋根、台輪寸法2尺5寸 →
湊三丁目。'12.05.04.
入船三丁目 大唐破風の湊三丁目

新川二丁目 町会神輿なし

京橋五の部の宮入待機時間帯は
残念ながら本格的な雨です。
昭和11年建造、行徳浅子周慶作、
延軒屋根、台輪寸法3尺3寸 →

お膝元の宮元は湊一丁目町会と
湊二丁目町会との合同神輿です
殿の宮元大神輿。'12.05.04.
丸太横棒の宮元大神輿

弥生会 約50年間途絶えていた本社神輿の渡御を、平成12年の御遷座1160年奉祝大祭に神輿渡御復活のために結成。 鉄砲洲稲荷神社の奉賛団体。印半纏は襟に弥生会、背に鉄砲州稲荷神社のグリーンの文字。  

宮元の御仮屋。'12.05.04. 宮元独自のPOP。'12.05.04.   宮元は神社お膝元の湊一丁目と湊二丁目町会が祭礼のときだけ合体して祭礼を行う。 この時の町紋は通称「鐵砲角」と言う。 (POP下段の町紋を参照)
神社隣の鐵砲洲公園の中には、祭礼中でも少なくなった入母屋造りの巨大な御仮屋が建てられる。 隣に若い衆溜りも作り、祭礼期間中は青年部が不寝番で神輿を守っています。 祭りの終了とともに取り壊される。
公園内の宮元の御仮屋 宮元のPOP

湊三丁目に到達の宮元。'12.05.04. 悠然と担がれてくる宮元。'12.05.04.
湊三丁目から鐵砲洲稲荷神社を目指す 担ぎ棒の白木丸太が異様に太い

宮元が曲がりくねった路地中を担がれてくる。'12.05.04.
悠然と路地中から現れた台座三尺三寸の品格伝統ともに町会神輿日本一の殿の宮元大神輿

鉄砲洲地名の由来: 鉄砲洲から芝浦までが「江戸湊」と呼ばれ、 京橋川が隅田川に合流する河口から南の方へ細長い洲が「鉄砲洲」と呼ばれていた。
名呼の由来は、地形が種子島に伝来した鉄砲に似ていたとも、 徳川家康が入府(天正18年・1590)の際、大筒(戦国時代後期より用いられた大砲の一種) の試射場であったからとも言われている。
 


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