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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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鉄砲州稲荷神社 平成22年5月 (鎮座1170年式年) |
神輿データ: 祭神:生成大神 台座:4尺1寸5分 建造年度:大正5年
製作者: 八丁堀・秋山三五郎 特記: 延軒屋根・平屋台造りの品格漂う大神輿 |
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鉄砲州稲荷神社の千貫宮神輿が歌舞伎座へお別れのご挨拶渡御でワッショイが最高潮 |
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鉄砲州稲荷神社 鎮座1170年式年 '01.05.03.
宮出し9:00〜 各部合同渡御、11:00〜各町渡御、
11:30〜新橋演舞場、12:00〜歌舞伎座、宮入18:30。
本来は陰祭りですが、平成22年は鐵砲洲稲荷神社の御鎮座1170年の式年に当たり、
これを記念して本年の例大祭は奉祝大祭として、御鳳輦・御本社神輿の巡行が執り行われた。
東京都中央区湊1-6-7。 |
例大祭かわら版 |
趣有るかわら版 |
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鉄砲州稲荷神社:平安時代初期(841)にこの地の住民が自らの産土の国魂神を祀る。
その後京橋あたりに遷座、さらに室町時代の末期の1520年代末新しい海岸であった今の新京橋へ遷座し、
八町堀稲荷神社と称す。
徳川幕府が開かれ埋立てが進み、寛永元年(1624)、
それまであった八幡神社を摂社として今日の鐵砲洲稲荷神社の基礎を築つく。
たび重なる海側への遷座は、そもそも鎮座の地に湊があったから。
江戸時代に至っては、米・塩・酒・薪・炭を初めほとんどの消費物資は鐵砲洲の湊へ入ってきたため、
鐵砲洲生成太神の名は船乗人の海上守護の神として全国に広まる。 |
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五色の幟が御鳳輦を先導 |
艶やかな鳳輦が進む神幸祭 |
白馬に跨る神職が映えます |
品格漂う鳳輦と千貫神輿の連合渡御
前回の例大祭は千貫神輿を台車での引き回しで、銀座8丁目より担いでの渡御でしたが、
今回は鎮座1170年の式年であり、神社宮出しから担いで各部合同渡御と銀座8丁目から各町会渡御と分けての祭礼です。 |
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担ぎ手銀座八丁目東 |
喜びと熱気の担ぎ手達 |
新橋演舞場担ぎ手銀座六・七町会 |
主催の弥生会は、平成10年創立ですが、約50年間途絶えていた本社神輿の渡御を、
平成12年の遷座1160年奉祝大祭に何としても復活させたいと組織化された。 |
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受渡場へと急ぐ銀座六・七町会 |
歌舞伎座へお別れ挨拶に集結の弥生会担ぎ手 |
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60年の歴史に幕を閉じる歌舞伎座に担ぎ手の弥生会は敬意表し千貫神輿を駐機させる |
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歌舞伎座前で木が入るやこれが暫しの分かれと弥生会の担ぎ手達は渾身の神輿振り |
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歌舞伎座は明治22年(1889)洋風造りの外観で銀座4丁目に創建。
明治44年(1911)に純日本風桃山式に改装(2代目)このころ松竹の運営となる。
関東大震災を受け大正13年(1924)に3代目が完成。
東京大空襲を受け、骨組みだけ残して焼失。昭和26年(1951)に復興。
平成22年04月30日公演を最後に閉場。
築60年たち平成25年(2013)に江戸の色香の外観残して、地上29階建てのビル併設開業予定です。 |
鉄砲洲: 鐵砲洲から芝浦までが「江戸湊」と呼ばれ、京橋川が隅田川に合流する河口から南の方へ細長い洲が「鐵砲洲」と呼ばれていました。
名呼の由来は、種子島に伝来した鐵砲に似ていたとも、徳川家が入府の際、大筒の試射場であったからとも言われている。 |
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