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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! 祭り神輿 |
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三社祭 氏子四十四ヶ町神輿連合渡御(勢揃い) 平成24年5月(毎年) |
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浅草寺裏手からお祓いの順番待ち神輿が土煙上げ浅草神社へ発進 背後には九代目市川團十郎「暫」の像 |
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浅草神社例大祭POP |
三社祭の読ませる詳細POP |
神輿通すため大提灯を畳んだ雷門 |
氏子44町会連合渡御 (勢揃い) '12.05.19.(土曜) 12時〜15時
浅草寺裏手に集結して、浅草神社境内にて順番にお祓いを受けて町内に
繰り出す。最後の町会神輿の出立つまで約3時間ほどかかる。
本社神輿渡御 '12.05.20.(日曜) 宮出し午前6時 宮入20時半
20日三社祭
雷門通りと馬道通りがお祭り広場となり、本社神輿渡御の合い間に町会
神輿が集まり、三社祭の最終日をひときわ盛り上げる。 |
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氏子四十四ヶ町の先駆けの東部花川戸一 |
女神輿が威勢よく男神輿を先導する花川戸二 |
東部の町会 順不同
花川戸一 浅草馬一 花川戸二 聖天 猿若 田聖睦 浅草馬二 浅草象一
浅草象潟 浅草象三 浅五会 浅草馬三 |
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女神輿に続き差し上げでご挨拶の花川戸二 |
神社鳥居目指し威勢よく担ぐ彫刻見事な田聖睦 |
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小さな胴に大屋根を載せた浅草馬三町会 |
女性も大活躍の浅草象潟一丁目町会 |
象潟(きさかた)という町名は、羽後本莊で二万余石を領した藩主でこの地に屋敷を持っていた(明治の華族となる)
六郷政鑑の領地内の景勝地の地名から明治5年につけたと言われています。
浅草象潟町の他に浅草象潟一・二・三丁目は昭和41年(1966)に浅草三丁目から五丁目に分割編入された。 |
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浅草馬二の神輿役員は馬が跳ねる印半纏 |
西部の千束二西の神輿は珍しい唐破風屋根 |
西部の町会 順不同
浅草二 芝崎東 芝崎西 芝崎中 西浅三北 堤 千草 浅草中 浅草千和
千二西 千二光月 千一南 浅三東 浅草町一 浅草町二 浅草清三 |
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ズバリ三社祭印半纏の浅草中町会 |
西部地区一番の大神輿(台座3尺6寸)の西浅三北 |
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南部地区の先駆けの南一番の寿二町会神輿が威勢よく浅草神社へと発進です |
南部の町会 順不同
仲見世 浅草東 浅草中央 浅草西 浅草公園 浅一三栄 西浅草一 寿二
寿一 寿三東 駒形 寿四 雷門田原 雷門西部 雷門中部 雷門東部 |
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大唐破風の南二番の寿一町会 |
南三番の寿三東町会神輿 |
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砂煙上げて発進の南四番駒形町会 |
大唐破風屋根の南五町会神輿 |
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掛け声も勇ましく担ぎ手一丸となって浅草神社参拝へ向う浅草公園 |
樹齢800年の大銀杏。 源頼朝が浅草寺参拝の折、挿した枝から発芽したと伝えられています。
昭和5年に文部省より天然自然記念物に指定されましたが、昭和20年の戦災で上部の大半を焼失してしまいました。
今はわずかに余命を保つ現状で、残念ながら指定は取り消されてしまいました。 |
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扇子で神輿を先導する雷門田原 |
大房付けた雷門中部神輿 |
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本社神輿と同じ胴に晒巻いた浅草東神輿 |
胴に晒巻いた駒札南十三の浅草中央 |
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お祓い受けた神輿がお囃子屋台に先導されて神社から宝蔵門そして仲見世を通り町会へと帰還です |
通常浅草の雷門、宝蔵門、二天門には大きな大提灯が飾られています。
ところがこの大提灯は、三社祭期間中は神輿が門を巡行する時にぶつかってしまうために、
天井下に小さく畳まれてしまうのです。 |
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神社拝殿の紫紺幕やPOPに描かれた三網の神紋は三社権現の土師真中知(はじのまなかち)、
並びに檜前(ひのくま)氏の家紋である。
三網紋のまん中は中知、右側は兄浜成、左が弟竹成を表し、左右で微妙に高さの違いがある。 |
三社祭り提灯 |
印半纏の浅草神社の神紋 |
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