歴史の浪漫街道 祭りだ!神輿だ!祭り神輿 清々しい正月の正午に出立する目出度や目出度千住元旦初担ぎ
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 祭り神輿


    千住元旦初担ぎ 平成25年1月 (毎年)

いろは通りを巡行する千住大川西睦の神輿。'13.01.01.
元旦の淡い日差しの中を多くの同好会の担ぎ手に賑やかに担がれてくる千住大川西睦の神輿

新春初担ぎPOP。'13.01.01. 氷川神社境内で焚火囲む。'13.01.01. 荒川土手から望む氷川神社。'13.01.01.   千住元旦初担ぎ
'13.01.01.(元旦)
12時〜14時半

出発地
大川町氷川神社
足立区
千住大川町12-3
町内掲示板 荒川の風冷たく焚火で暖を取る 荒川土手から望む氷川神社境内

大川町氷川神社: 当地の開墾は宝治年間(1247〜8)頃に始まり、 神社は永仁2年(1294)土地鎮護のため創建された。明治維新以前は安養院が別当であった。 明治44年(1911)から荒川放水路の大改修計画の一環として本神社も各碑とともに大正4年(1915)現在地に移転再建された。  

シャッター絵と下町風情溢れる千住宿場町通り   宿場町通り飾。'13.01.01. 宿場町通りシャッター絵。'13.01.01.
お正月飾り付けで出迎えてくれる宿場町通り 毎年迎えてくれる華やぐシャッター絵

鳥居前からの担ぎ出し。'13.01.01. 当番睦の大川西睦神輿。'13.01.01.
鳥居階段下の路上からの担ぎ出し 本年巡行の当番睦は大川西睦

千住初担ぎ巡行路は、 12時大川町氷川神社出発ー千住寿幼稚園ーいろは通り(小休止)ー千住双葉小学校ー氷川神社参道に14時半帰還。
大川西睦の神輿には、作札の足立東保木間 神輿師 伊吹俊之助を掲げる。
 

雄叫び発する担ぎ手達。'13.01.01. 遠慮がちにコミュニティバスがすれ違う。'13.01.01. いろは通りを巡行。'13.01.01.
鼓舞し合い雄叫び発する担ぎ手 寿幼稚園ですれ違うコミュニティバス いろは通り厄除け地蔵前を北進

コミュニティバス: 北千住の交通空白地帯などで地域住民の移動手段を確保するために、 区の支援を受けて運行するバスで、 北千住西口から発着で氷川神社前にバス停あり便利です。 が千住大橋を経由する路線のため時間がかかる。  

賑やかな手拍子で荒川土手下目指す。'13.01.01.
千住双葉小学校を過ぎて最終の大川町氷川神社荒川土手下まで巡行してくる

荒川土手下四ッ木灸診療院から参道へ。'13.01.01. 双龍会や風じんの初担ぎ。'13.01.01.
最終コーナーの四ッ木灸診療院を曲がる 初担ぎを双龍会や風じんのお仲間達が堪能

千住祭り連絡会の参加は10団体だが過去の取材済みは、 今回の25年大川西、24年元宿会、23年東睦会、22年宮元睦、21年司、20年未取材、19年元宿会。
残る未取材は中央睦会、柳祭会、寿北町会、谷団睦、中居睦の5団体です。
 

荒川は開削工事が行われるまで川幅をもたない小さな河川だったが、 明治43年(1910)の大洪水を契機に現在の川幅まで拡張された。
「荒川」の呼び名はもともと千住大橋が架かる現在の隅田川に付けられていたもので、 明治期の河川法でも「荒川」と称されている。 川幅拡張後その川の放水路ということから「荒川放水路」と名付けられた。 昭和40年(1965)には、この放水路が「荒川」、千住大橋の架かる川が「隅田川」の公称となり現在に至っている。
 


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