|
|
伝承と伝統の民族文化遺産 |
|
|
祭りだ!神輿だ! 祭り神輿 |
|
|
|
|
花園神社 町会連合渡御 平成25年5月 (隔年) |
|
宮入参拝の殿は花園神社に合祀された新宿四丁目町会の雷電稲荷神社(祭神:菅原道真) |
|
|
|
花園神社 町会神輿連合渡御(陰祭り)
'13.05.26.(日曜)宮出し11時半〜13時半
八町会の神輿による連合渡御です。
明治通り〜靖国通り〜新宿二丁目〜
新宿通り伊勢丹付近で担ぎ終え。 東京都新宿区新宿5-17 |
花園神社POP |
拝殿前で式典の臨む宮司や氏子総代の面々 |
|
|
花園神社は、徳川家康の江戸開府の慶長8年(1603)以前から新宿の総鎮守として重要な位置を占めていました。
徳川家康が武蔵野国に入った安土桃山時代の天正18年(1590)より前に、大和吉野山より勧請されたとされています。 |
|
|
|
新宿二・花園・三光町が参道鳥居から明治通りへ |
新宿四丁目町会の火焔擬宝珠雷電の担ぎ出し |
町会神輿の隊列は、魁は新宿二丁目、花園、三光町(新宿五丁目)、壱丁目(新宿一丁目)新宿園、番衆、新宿四丁目、
殿は新宿三丁目の八町会です。
社殿再建に伴ない昭和40年から氏子町会神輿の八基が花園神社の地下倉庫に
平成18年に宝物殿(本社神輿二基)横に神輿庫が完成しそこに保管している。 |
|
|
宮出し殿の新三(新宿三丁目)は岡田屋布施建造 台座二尺九寸(88cm)の町会神輿一の大きさ |
|
|
花園島田囃子屋台が町会神輿を先導 |
魁の新宿二と二番手で続く花園町会 |
花園島田囃子 昭和40年ごろ花園町会の住人島田米蔵氏の発案で発足。
芝濱囃子社中を師匠に迎え指導を受け、昭和57年から花園神社のお囃子となる。 |
|
|
|
三番手の華やかさ新宿5丁目の三光町 |
四番手の駒札に壱丁目掲げる新宿一丁目 |
|
五番手新宿園と六番手番衆と背後には柳通りから新宿通りに入り込む新三神輿 |
新宿園は現在の新宿5丁目(5番〜10番)にあった「新宿園遊園地」(箱根土地=堤康次郎)
跡地を昭和6年の分譲時に結成された新しい町会です。
番衆町は城内の宿直勤番して雑務・警衛をつかさどった番方が多く住んでいたために付けられた町名。
昭和53年、住居表示実施に伴い町名は消滅した。 |
|
|
七番手の胴に晒巻いた新四町会の雷電と殿を勤める町会神輿一の新三町会神輿 |
昭和3年に花園神社に合祀された新宿4丁目4の雷電稲荷神社を町会神輿の駒札に掲げる。
別途花園神社は台座三尺五寸の宮神輿雷電を保有し渡御する。 |
|
新宿御苑: 内藤氏は藤原秀郷の末孫で、忠政の時に家康に仕えて駿府(今の静岡)に住みました。
二代目清成は家康の関東移封に先立ち、江戸に居城を構えるために伊賀組百人鉄砲隊を率いて、国府道(後の甲州街道)
と鎌倉街道の交差点となっていた現在の新宿二丁目を中心として陣屋を敷き、警備にあたったのです。
家康が江戸入城の後、内藤清成は布陣していた新宿の地をそのまま拝領し、これが現在の新宿御苑となってる。 |
|
|