歴史の浪漫街道   お江戸の神輿 古色蒼然とした明治初期に建造の宮神輿を担ぐ10年振り渡御の鎮座1200年の新宿高田馬場の諏訪神社
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    新宿高田馬場 諏訪神社  平成27年08月 (5年毎)

祭神: 大国主命 台座:三尺五寸(107) 建造年度: 明治6年 製作者:御門前・塩川運玉
特記: 黒漆塗り延軒屋根 平屋台造り 古色帯びた神輿です 祭礼飾りは神紋の梶の葉(かじのは)の花です
 

早稲田通り高田馬場西口。'15.08.23.
早稲田通りJR高田馬場駅西口を威勢の良い掛け声で担ぐ渡御を見守る騎乗の宮司

御神幸大祭pop。'15.08.23. 祭り飾りは神紋の梶の花。'15.08.23. 荘厳な社殿。'15.08.23.   御神幸大祭: '15.08.23.(日曜)
    宮出し8:30〜宮入17:00

創建は弘仁年中(西暦810〜820)で当時神社は奥羽街道の一部松原街道に面していたので松原神社と称され、 江戸時代初期に尾張の徳川家の祖である徳川義直が信濃国の諏訪神を勧請し諏訪神社と改称する。
東京都新宿区高田馬場1-12-6
神幸祭POP 祭礼飾りは神紋の梶の花 昭和55年建造の荘厳な社殿

16紋菊の御紋。'15.08.23. 明治十五年、諏訪の森に近衛射的場が神社前に出来た時に、明治天皇の行幸があり神社境内よりその射撃演習を御覧になられた。
その折に畏くも天皇より神酒、鴨を賜り、氏子の歓喜、感激は大変なものだったとか。
その後、御聖蹟 (天皇行幸や巡行の足跡)の指定を受けた。 のちほど社殿の屋根には16紋菊の御紋を付ける様になった。

井垣の内側に傷が。'15.08.23. 燻し銀の胴。'15.08.23. トラック転送。'15.08.23.
明治時代の燻し銀 建造時の煌びやかさ漂う 明治通り大久保から転送されてきた宮神輿

お諏訪さんと呼ぶ氏子町会は、 高田馬場、大久保、西早稲田、新宿七丁目、百人町四丁目、下落合一丁目で 5年に一度の大神輿が練り歩くというが今回は10年振りの渡御。
渡御列は先導神官、社名旗、太鼓、猿田彦、総代騎馬(珍しい)、鳶職、宮神輿、宮司騎馬。途中で行列が別順路へ。 奈良県唐招提寺の校倉(あぜくら)を模した神輿庫がある。

木遣に先導され午後の渡御。'15.08.23.
午後の渡御開始の旧戸塚四丁目(百人町4丁目北)から木遣に先導され騎乗宮司に見守れての担ぎ出し

小滝橋へ降りて行く。'15.08.23.
燻し銀のような宮神輿が多くの担ぎ手達や観衆を引き連れて威勢よく早稲田通りの小滝橋へと降りてくる

高田馬場四丁目の神田川に架かる「小滝橋」から早稲田通りの交差点の名称となる。
また小滝橋と高田馬場駅との中間点にあるシチズンプラザは、昭和46年(1971)まで使用されたシチズン時計の工場跡地です。
 

高田馬場4町会神酒所。'15.08.23. 早稲田通りで休息の木。'15.08.23.
戸塚四丁目(現・高田馬場4)町会神酒所の獅子頭 早稲田通り旧戸塚四丁目の神酒所で休息の木が入る

高田馬場三丁目バス停。'15.08.23.
旧戸塚三丁目高田馬場お神酒所へと明治時代の宮神輿が賑やかに早稲田通りを渡御して来る

高田馬場三丁目バス停。'15.08.23.
早稲田通り旧戸塚三丁目高田馬場お神酒所向かいのバス停で休息場所に駐機するぞの指揮者の声

駅近道の三叉路お神酒へ。'15.08.23.
早稲田通りの高田馬場駅近道の三叉路お神酒へと威勢良い掛け声で渡御してくる

早稲田通り高田馬場駅西口。'15.08.23.
早稲田通りJR高田馬場駅西口を威勢のよい掛け声を響かす明治時代の燻し銀の宮神輿

早稲田通り高田馬場駅前。'15.08.23.
清和会お神酒所から折り返して駅前ロータリー広場へと担ぎ手達が雄叫びを上げながら入り込む

高田馬場: 堀部安兵衛の高田馬場とは全く無縁です (元禄七年起る安兵衛の仇討)
馬場は寛永十三年(1636)に造られたもので旗本たちの馬術の練習場で、 現在の西早稲田3丁目1〜14番(水稲荷神社南側)を含む長方形の土地が、江戸時代の高田馬場です。 明治43年(1910)に停車場が設けられた時、住民は「諏訪森」か「上戸塚」を要求したが、鉄道省の役人は陸軍に阿り、 堀部安兵衛仇討の故事が戦争礼賛・国威発揚に繋がると「高田馬場」を強引に押し切って決めたのです。
 


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