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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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西国分寺 熊野神社 平成27年9月 (毎年) |
祭神: 伊弉諾尊 台座:三尺六寸(110) 建造年度:昭和10年 製作者:地元・坂元善市
特記: 擬宝珠の延軒屋根 平屋台造り 渡御は御太鼓の先導で白丁に烏帽子姿が警備して各町会が担ぐ |
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先導する御太鼓のド〜ンドンが鳴り響きホイサ!ホイサ!の掛け声でシャンシャン!シャンシャンシャンと台座の音頭取り |
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狭い鳥居参道 |
昭和41年改築の社殿 |
拝殿前の祭礼飾りと地口行燈 |
例大祭: '15.09.06.(日曜) 宮出し:13時〜宮入:19:00
御太鼓と神輿が渡御。神輿に鉦の打ち手を二人乗せる。
宮入時に境内で奇祭と言われる神輿の火渡りが執り行われる。
今年の渡御路は西恋ヶ窪周りですが翌年は変わる。
創建は不詳ながら元弘建武の(1331)の頃、新田義貞鎌倉勢と戦のために社殿は兵火に焼失した。
その後天正年間にも焼失したといいます。
明治6年村社に列格、その後も幾度かの被災に遭いながらも再建しているといいます。
国分寺市西恋ヶ窪1-27-17 |
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渡御時に音頭取って打ち鳴らす吊るし鏡板 |
参道狭く境内から担ぎ出して鳥居下で横棒の組立 |
熊野神社は吊るし鏡板の打ち役を台座に二人乗せて、シャンシャン、シャンシャンシャンと打ち鳴らし、
担ぎ手の掛け声はホイッサー ホイッサ!。 駐機は馬を使わずに直置き、御太鼓が先導する。
これは調布市の国領神社と同じですが、神輿胴に晒は巻かない。 |
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参道鳥居下から府中街道を目指して多くの担ぎ手を従えて狭い神社通りをシャンシャンと鳴らし渡御して行く |
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神社通りから広い府中街道の西恋ヶ窪三丁目に出てきてシャンシャン!シャンシャンシャンと悠然と渡御 |
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鏡板をシャンシャンと鳴らしながら府中街道の西恋ヶ窪一丁目からいなげや通りへと方向転換 |
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台座三尺六寸の宮神輿を駐機させる時は馬を使わずに直置きです。
肥沃な土壌である大地に敬愛の念で大地の神に近づけ感謝の意を表しているとか。
これは調布市の国領神社の駐機と同じですが、熊野神社では神輿胴に晒は巻かない。 |
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いなげや通りで平成16年修復の御太鼓に先導されてホイサ!ホイサ!の掛け声での宮神輿が渡御 |
国分寺熊野神社の御太鼓: 熊野神社の鎮座一千年を記念として昭和54年(1979)に奉納の大太鼓です。
大国魂神社の先祓い御太鼓に劣らない大きさです。
平成16年(2004)に御太鼓の修復工事が施されている。 |
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片方の担ぎ棒が急に沈みだした |
完全な腰砕けで介添え役が支える |
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いなげや通りから武蔵野線脇に入り込みホイサ!ホイサ!の掛け声でアップダウンの坂道を上がってくる |
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休息所の西恋ヶ窪ユリノキ公園へと神輿の横棒一杯の路地へ直角に曲がり入り込んでくる |
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休息所のユリノキ公園へ渡御する宮神輿を武蔵野線を挟んだ国分寺側からも観衆が |
国分寺恋ヶ窪という地名の由来は、
国分寺とは天平13年(741年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、
当時の日本の各国に一国に一寺の建立を命じた国分僧寺と国分尼寺です。
恋ヶ窪は現在の府中街道とほぼ同じ道筋にあたる東山道武蔵野路や鎌倉上道の宿場町であり、
かつて付近の湧水が流れ込んだ姿見の池は清水を湛えていました。
その姿見の池で遊女の夙妻太夫が武将の畠山重忠を慕って入水したのが恋ヶ窪の由来とか。 |
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