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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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上高田氷川神社 平成24年9月 (3年毎) |
神輿データ:祭神: 素盞鳴尊 台座:三尺三寸(100) 建造年度:昭和8年 製作者:行徳・後藤直光
特記: 屋根から胴と台座までの総彫神輿 台座の角金物細工も見事です |
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無風で額から汗にじむ強くて熱い朝日を受け坂道中程の神社石段前から宮出しです |
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上高田氷川神社 '12.09.09.(日曜) 出御祭8時 宮出し9時〜 宮入17時15分 中野区上高田4-42 |
渡御路POP |
階段を登って長い参道が続く |
境内奥に東向きに建つ社殿 |
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上高田氷川神社は上高田の鎮守として享徳2年(1453)に大宮氷川神社より勧請して創建したと伝えられます。
大正15年(1926)に社殿建造するも、戦前の動乱期には境内整備が追いつかず、やっと昭和29年(1954)に神楽殿が、
昭和63年(1988)に社務所が完成して境内が整備された。 |
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鳥居前の神輿庫から担ぎ出される |
鳥居前の路上での御魂遷しの儀 |
屋根から台座まで見事な総彫神輿 |
細長く狭い境内では所狭しと夜店屋台が建っている。
境内の鳥居階段下の道路を挟んで長い提灯が2つ下がっている大きな神輿庫から、
宮神輿を担ぎ出して路上での8時半からの「御霊入れ」の儀が始まる。 |
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花傘役員たち渡御の始まりで余裕 |
神社前坂道を威勢よい掛け声と共に上がってきた |
鳥居前路上からの宮出しが行われて、
神職が先頭にたち薄青の袴装束の総代達が神輿を先導していく。
宮神輿のため服装は半纏、半パコ、足袋、帯着用が条件と祭礼POPに厳守せよと明記されている。 |
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壹睦詰所前に近付き悠然と渡御していく |
事故か? 緊急車両が祭礼行列に割り込んで往く |
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緊急車両の出現にもめげず多くの担ぎ手引き連れて上高田一丁目三叉路目指し威勢よく担ぐ |
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上高田一丁目の三叉路折り返し地点 |
神輿揉みを繰り返し担がれたまま方向転換 |
上高田の地名は、
もとは高田村だったが江戸時代初期に雑司ヶ谷と神田川の間に高田村が出来たので多摩郡野方領上高田村と定められた。
この辺りが高台で「高畑」と呼んでいたのが「高田」に転じたと伝わっている。
現在「上高田」と呼ばれる町域は、昭和35年(1960)から昭和42年にかけて整備された町割で、
現在1丁目から5丁目まである。 |
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