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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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柳原稲荷神社 平成27年09月 (3年毎) |
祭神: 宇迦之御魂神 台座:三尺二寸(97) 建造年度:不明 製作者: 不明
特記: 勾配浅い延軒屋根 幅広台座 平屋台造り 江戸末期の神輿と思われる |
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桜並木通りを柳原商店街お神酒所へと威勢のよい掛け声で渡御していく |
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例大祭 '15.09.20.(日曜) 宮出し9時半〜宮入16時
江戸城の鬼門除けとして創建させたと伝えられる。そのため、現在も社殿は東北(鬼門)の方角を向いている。
足立区柳原2-38-1。 |
柳原稲荷POP |
第二鳥居と垣根に囲まれた北向きの拝殿 |
お囃子車輛に搭載された獅子頭 |
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当社の創建は詳かではないが、葛西誌によれば慶長四年(1599)の鎮守云々とある。
天明六年(1786)には洪水により流失したが寛政六年(1794)に再建さた。
境内には昭和8年(1933)に築かれた区登録有形民族文化財の富士塚がある。
また当社に江戸期より伝わる柳原箕輪囃子は区登録無形文化財である。 |
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住宅地の真ん中にあるゆったりとした神社境内で渡御の祝詞が奏上される |
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拝殿前鳥居からの神社前道路の参道鳥居へと担ぎ出しです |
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境内入口の鳥居から狭い神社前の路地中を渡御です |
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広い桜並木通りに出て我慢の担ぎから解放され掛け声も大きくなった担ぎ手達 |
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柳原の桜並木には子供神輿や引き太鼓そして花笠山車が宮神輿に続いて渡御のため既に待機 |
柳原の桜並木 (疎開通り) 北千住大踏切から荒川土手まで1キロ続く桜並木 桜の総数は約150本とか。
戦前に戦車が通って作った道路だそうです。 別名 戦車通り。
空襲による延焼防止を目的に建物を疎開させ拡幅された道路。こちらが正しいのかも。 |
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桜並木通りをお神酒所へと渡御してくるが担ぎ手達はチョットお疲れかな |
厄払い獅子頭を載せたお囃子トラック、ピンク色のオープンカーに乗る宮司の氏子総代、御幣、
宮神輿、お囃子山車、町内子供神輿二基、引き太鼓と花笠山車の賑やかな祭礼行列で、柳原一丁目と二町目を渡御する。
柳原地名の由来: 古くは小谷野柳原村といい元禄十年(1697)に分村して柳原村。
地名の由来は柳の木が多く自生した原野だったことによる。 |
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