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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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神楽坂 赤城神社 平成28年8月(6年毎 不定期) |
神輿データ: 祭神: 岩筒雄命 台座:三尺三寸(100) 建造年度: 昭和33年 製作者:行徳・後藤直光
特記: 大振りの延軒屋根 勾欄造り H20年は社殿改修中で渡御せず H22年に六年ぶりの渡御を実施 |
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参道の大鳥居下へ六年振りの渡御だと喜びの掛け声も勇ましく無事担ぎ出しです |
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参道大鳥居前の屋台はまだ |
モダンな境内施設一式は建築家隈研吾作 |
六年振り渡御の宮神輿 |
神楽坂 赤城神社 '16.09.18.(日曜) 宮出し7時〜宮入り17時 新宿区赤城元町1-10
正安2年(1300年)、後伏見天皇の創祀に際して、群馬県赤城山麓の大胡の豪族であった大胡彦太郎重治が牛込に移住した時、
故郷の鎮守であった赤城神社の御分霊を祀ったのが始まりで、天和3年(1683年)徳川幕府は江戸大社の列に加え、
牛込の総鎮守と崇めた「日枝神社」「神田明神」と共に、「江戸の三社」と称され、
この三社による祭礼の際における山車、練物等は江戸城の竹橋から内堀に入り半蔵門に出ることを許されていた。 |
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定刻通りに拝殿前から参道の大鳥居へとあずき色の本社印半纏一色で担ぎ出しです |
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警護班があずき色以外の割り込みを防ぎ棟梁が駐機する馬を鳥居下まで早く運び出せの指示 |
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境内の石段から参道大鳥居下へと警護班に守られて担ぎ出してきた |
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あずき色の本社印半纏の担ぎ手達に大鳥居下で担ぎ出し終了の木が入る |
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参道の担ぎ出しから神楽坂早稲田通りを賑やかに町会渡し場へと宮出し 雨が降り出しそう |
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神楽坂上の町会渡し場所までの宮出しに過去の体験から警護班が肩を組み乱入やから達の防止です |
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あずき色半纏の宮出しも神楽坂キムラヤスーパー前でやっと町会渡しを行い渡御です |
牛込総鎮守 赤城神社の例大祭は、江戸を代表する大社の祭りです。
赤城神社参道から早稲田通りを神楽坂上で折り返し横寺町通りへ入り込む。
旧本社地の早稲田鶴巻町含む32の町会渡しです。 |
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神楽坂上の手前の十字路月鼓店舗で反転させて横寺町通りへと威勢良い掛け声で渡御していくようだ |
神楽坂の名前の由来は、坂の途中にあった高田八幡(穴八幡)の御旅所で神楽を奏したから、
若宮八幡の神楽が聞こえたから、この坂に赤城明神の神楽堂があったからなど、いずれも神楽にちなんだ諸説がある。
台地上には筑土八幡があり牛込城もあった。神楽坂の坂道は古くからあったものであり牛込城の大手口でもあった。
神楽坂は新宿界隈が繁華街となる明治大正、昭和初期までは、新宿区内の大繁華街であったのです。 |
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