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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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小平神明宮 八雲祭 平成25年04月 (毎年) |
神輿データ: 祭神: 健速須佐雄神 台座:3尺2寸(97) 建造年度:平成12年 製作者:栃木小川政次
特記: 延軒屋根・平屋台造りで宮出し宮入は烏帽子に白丁の古式の装束で行われる。 |
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花火の合図と共に狭い参道を警護班に守られ烏帽子白丁装束で二番組お仮屋まで二天棒での宮出し |
宮出しの烏帽子白丁姿の担ぎ手の青年達は、氏子地区の一番組から八番組そして坂北組と本町組から各6名が選ばれた60名の精鋭達です。
担ぎ手の周囲を警護班に守られて男子誉れの宮出しの宮神輿を担ぐのです。 |
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八雲祭POP |
鈴緒を5本付けた神明宮社殿 |
青梅街道参道入り口横の奉祝祭礼献灯 |
小平神明宮八雲祭 '13.04.28.(日曜) 神事後の宮出し8時40分、宮入18時半。
例年の渡御日29日(祝日・昭和の日)から、今回より4月最終日曜日に変更。
お先祓いの太鼓が先導して、お仮屋10ヶ所で神事を執り行い、
氏子区域14kmを担ぎ渡御と台車での巡行が交互に行われる。 東京都小平市小川町1-2573 |
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神輿庫前神事から拝殿前へ氏子役員の担ぎ |
拝殿前から二番組お仮屋まで二天棒での宮出し |
小平神明宮は玉川上水の完成後に荒地の農地開墾の守護神として寛文元年(1661)に、
西多摩郡殿ヶ谷村(今の瑞穂町)鎮座の延喜式内社
(平安時代以前からの古社)阿豆佐味天神社の摂社、神明社から分祠遷座された。
神明宮の祭神は天照皇大神。境内社の八雲神社の祭神は健速須佐雄命です。 |
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二番組お仮屋から担ぎ棒を四天棒に組み替えて青梅街道へと渡御開始 |
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近郊の神社同好会応援担ぎ手による青梅街道神社前での威勢の良い渡御 |
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一番組三叉路お仮屋前から青梅橋へと渡御 |
青梅街道小平上宿を御太鼓が先導して渡御 |
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先祓い御太鼓がド〜ンと撥を打ちながら台車巡行の宮神輿とお囃子車輛を先導してくる |
先払い御太鼓は鎮座320年記念の昭和55年(1980)に奉納されたもので、
宮神輿は平成12年(2000)に、御鎮座340年を記念して奉納された神輿です。
残念です。例大祭中も旧本社神輿は神輿庫に鎮座したままです。 |
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武蔵野の面影を色濃く残す立川通り上宿 |
樹木生い茂る立川通り日枝神社前 |
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小平神明宮の祭りに飾られる風習の地口行灯と花傘。
祭りを楽しむ在郷氏子たちは世相をやゆした文言や、
駄洒落を絵柄と文字で表現した地口行灯と花傘が氏子宅門口や参道に飾られる。
地口とは、言葉遊びで駄洒落のことです。 |
参道の花傘と地口行燈 |
氏子門口の地口行燈と花飾り |
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小平市:このあたりは水が乏しく人が生活するには適さない場所であったが、
承応3年(1654)羽村から江戸まで多摩川の水を運んだ玉川上水の開通で、江戸の近郊農村として急速に開発が進みました。
青梅街道などの主要な街道を中心に、整然と計画された短冊型の地割の様子は、 今なおうかがうことができます。
「小平」の名前は初めて開拓されたところが小川村であり、 また地形が武蔵野台地の平坦だったところから名付けられた。 |
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