歴史の浪漫街道   お江戸の神輿 青梅街道の小川町の小平神明宮から武蔵野JAを東西に14キロを台車と担ぎで往復渡御する八雲祭
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    小平神明宮 八雲祭 平成27年4月 (毎年)

神輿データ: 祭神: 健速須佐雄神 台座: 3尺2寸(97) 建造年度: 平成12年 製作者: 栃木小川政次
    特記: 延軒屋根・平屋台造りで宮出し宮入は烏帽子に白丁の古式の装束で行われる。
 

御幣に先導される御太鼓と宮神。'15.04.26.
小平神明宮八雲祭の御太鼓と宮神輿が青梅街道の御仮屋六番へと渡御

八雲祭ポスター。'15.04.26. 花傘と地口行燈。'15.04.26.   小平神明宮 八雲祭
'15.04.29.(日曜) 宮出し 9:10〜宮入 18:30
 今回の取材は氏子地区の東側の八番御仮屋からです。

お先祓いの御太鼓を前に、大神輿を氏子や小川睦会会員を始め応援の担ぎ手達が肩を入れて、 早朝から1日かけて延々14kmに及ぶ氏子区域を練り歩き、氏子各組の「お仮屋」ごとに神事が執り行われる。
  東京都小平市小川町1-2573
御仮屋のpop 花傘と地口行燈

寛文元年(1661)江戸と青梅を結ぶ青梅街道の難所「逃げ水の里」とも言われた原野に、 玉川上水開通に伴い新田開発が行われ、移り住む人々の守護神として祀られた。
八雲神社は小平神明宮境内東側の末社に祀られ、神様は健速須佐雄命(たけはや)
地域開拓から350年。 平成建造の神輿や5尺の巨大な太鼓の出る祭です。
八雲御幸祭はその昔、氏子中に病気が流行した際に八雲大神の御神体を神輿にお乗せして氏子中を廻ったのが初まりです。
 

青梅街道を渡御の隊列。'15.04.26. 武蔵野線新小平駅前。'15.04.26.
隊列の先頭は神職そして御太鼓 青梅街道の武蔵野線新小平駅前

小川町目指す宮神輿。'15.04.26.
青梅街道の武蔵野線新小平駅前から小平神明宮へと渡御

平成十二年(2000)に御鎮座三四〇年を記念して新し大御神輿が奉納されました。
先払い御太鼓は鎮座320年記念の昭和55年(1980)に奉納です。
 

小平警察所入口交差点。'15.04.26.
青梅街道小平警察所入口の交差点を威勢良い掛け声で渡御して来る

'15.04.26.
武蔵野の面影を色濃く残す青梅街道小川町の六番御仮屋手前

小平は古代には東山道という主要な道が通り、所沢と府中を結ぶ交通路でした。 中世になると鎌倉街道が通り、武士たちがこの道を通って戦いをくり広げました。
江戸時代になって徳川家康が江戸に幕府を開くと、今までの南北の道に加えて東西の道がつくられます。 そのひとつが五日市街道であり、もうひとつが青梅街道なのです。
 

武蔵野の面影残す小川町。'15.04.26.
初夏の様な西日を受けながら青梅街道小川町の六番御仮屋へと進んでくる

西日浴びて六番御仮屋へ。'15.04.26.
神事と休息を取る小川町六番御仮屋へと近づく宮神輿

神事執り行う六番御仮屋へ。'15.04.26.
渡御神事のために青梅街道から小川町六番御仮屋へ入り込む

小川町の地名は、江戸時代に小川一帯の開拓者である小川九郎兵衛の名に由来する。
また、市の名称にもなった小平の由来ともなったとされている。 明暦2年(1656年)に開拓した小川九郎兵衛(小)と、この地の特徴である平坦な地形(平)あわせて小平とされた。
 


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