歴史の浪漫街道   お江戸の神輿 黄金色に輝く三尺三寸の宮神輿を246号の玉川通りを横断して和やかに和気藹々で担ぐ池尻稲荷神社
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    池尻稲荷神社   平成27年9月 (2年毎)

祭神: 倉稲魂命 台座: 三尺三寸(100) 建造年度: 昭和4年 製作者: 浅草・難波
特記: 延軒屋根  勾欄造り  屋根や台座の打ち出し模様が素晴らしい神輿

池尻稲荷の和気藹々の渡御。'15.09.20.
玉川通りを超えて四丁目町会の淡路通りお神酒所へと掛け声も和やかに聞こえる和気藹々の渡御

大祭POP.'15.09.20. 246号の鳥居。'15.09.20. 稲荷神社の拝殿。'15.09.20.   池尻稲荷神社大祭
’15.09.20.(日曜)
 宮出し13時〜宮入18時

明暦年間 (江戸時代の初期)に旧池尻村と池沢村の両村の産土神として創建された。
 世田谷区池尻 2-34-15
池尻稲荷POP 玉川通り(246号)の正門鳥居 池尻稲荷の拝殿前はシートが覆う

稲荷神社は当時矢倉沢往還(現在の二子玉川)と津久井往来(現在の上町) の二つの街道から角屋・田中屋・信楽屋の三軒の茶屋 (三軒茶屋の起源)で休憩して江戸入りする道筋にあり、 また江戸から大山詣での人々が大坂(現在の旧山手通りと大橋の間の坂道) を下った道筋で、道中の無事を願い参拝する人々が多かったとか。  

御魂遷し。'15.09.20. 祝詞奏上。'15.09.20.
宮出し氏子衆達が見守る中での御魂遷し 国道246号の騒音も届かぬ境内で祝詞奏上

木遣が謳われる拝殿前で担ぎ出し。'15.09.20.
木遣が謳われるなか拝殿前で担ぎ出しの木が鳴らされてサッと担がれる

境内を三回転。'15.09.20.
境内拝殿前を三回転の宮出しのご挨拶をして参道から渡御です

狭い参道を。'15.09.20. 大鳥気にして鳥居潜り。'15.09.20.
屋台が隙間なく建ち並ぶ狭い参道を掻き分ける様に ヨイト抱えて大鳥が当らぬように下げろサゲロ

旧大山街道に出て。'15.09.20.
参道から広い旧大山街道に出てきてやっと余裕の威勢のよい掛け声で渡御

246号の玉川通りを横断。'15.09.20.
首都高下の246号の玉川通りを横断して池尻三丁目へと渡御です

四ツ角を北進へ。'15.09.20.
北神酒所で一服して淡島通りの四丁目神酒所へ向けて渡御再開です

目黒川の深緑を背景に。'15.09.20.
淡島通りお神酒所へ駒場の目黒川の深緑を背景に宮神輿が悠然と渡御

目黒川は武蔵野台地の南縁部に位置しており、世田谷区、目黒区および品川区を流れ東京湾に注ぐ河川。 江戸時代には目黒川と表示でず「こりとり」と。「垢離取り」の意味でこの川で身を清めてから目黒不動尊に詣でたのである。 現在は桜並木の名所です。  

桜並木の名所目黒川。'15.09.20.
喧騒の池尻から離れて信じられぬほど静寂漂う駒場目黒川の深緑を渡御

池尻の由来: 世田谷の北沢川と烏山川が合流し沼沢地帯を形成し、蛇池とも龍池とも呼ばれ細長い水溜りであった。 池尻の「尻」は出口のことで、池や沼・湖が川に落ちるところをいう。 幕末の頃から徐々に干上がって陸地化していった。  


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