歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 例大祭の町会連合渡御にかえて芝大神宮の宮神輿が初のお披露目渡御
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    芝大神宮 初渡御 平成22年 9月 (不定期)

神輿データ: 祭神: 天照大御神 台座:三尺(92) 建造年度: 平成10年 製作者:浅草・
 宮本卯之助商店 特記: 梨地色の唐破風屋根 勾欄造り 蕨手と鳥居に龍 白木の担ぎ棒
 

激しい神輿揉みに梨地色の唐破風屋根が輝く。'10.09.19.
芝大神宮の宮神輿が初のお披露目渡御で宮入前の大門で激しい神輿揉み

宮神輿のPOP。'10.09.19. お披露目渡御に和太鼓が迎える。'10.09.19.   芝大神宮 宮神輿初渡御 (例大祭)
'10.09.19.(日曜) 宮出し12時〜宮入17時半
例大祭が長期間続くことから(平成22年度は11日〜21日) だらだら祭りといわれ祭事の中心は16の町会神輿連合渡御であったが、 今回は初の宮神輿渡御で例大祭のかわら版まで宮神輿のお披露目POPに変わる。
今回は町会神輿の連合渡御(隔年)はない。
港区芝大門1-12-7。
宮神輿POP 増上寺門で和太鼓が宮神輿迎え

芝大神宮は、伊勢神宮の御祭神、天照大御神(内宮)、豊受大神(外宮)の二柱を主祭神として祀る。 鎮座は遠く平安時代、寛弘二年(1005)一条天皇の御代に創建された由緒ある神社です。 古くは飯倉の地にあって「飯倉神明宮」、現在地に移って「芝神明宮」と 称され、大江戸の大産土神として関東一円の庶民信仰を集め、 「関東のお伊勢さま」として数多くの人々の崇敬をあつめた。  

神職と社旗と鉄棒と担ぎ太鼓。'10.09.19. 氏子役員や宮司嬉しそう。'10.09.19. 宮神輿も担ぎ手も嬉しそう。'10.09.19.
祭列先導する神職と社旗 初の宮神輿ご披露に嬉しき笑顔 初渡御の気品漂う宮神輿

赤レンガ通を北進してくる。'10.09.19. 芝パークビル広場前を渡御。'10.09.19. 増上寺山門前での神輿揉み。'10.09.19.
赤レンガ通りの渡御 芝パークビル広場前 増上寺山門での神輿揉み

梨地色の唐破風屋根そして白木の担ぎ棒で上品な神輿です。 宮出し:12時、第一京浜(国道15号)新橋6丁目交差点から浜松町の東御旅所を13時50分発、 金杉橋の南御旅所を15時20分発、赤レンガ通りから大門交差点、17時発で宮入:17時半。 浜松町と芝大門を渡御です。  

大ギャラリーに担ぎ手も興奮。'10.09.19. 初お披露目の神輿揉み繰り返す。'10.09.19. ビルの反射鏡が神輿照らす。'10.09.19.
大門で激しい神輿揉み 祭り提灯掲げた神明商店街入口 神輿照らす夕日のビルの反射光

大門交差点で宮入の隊列作る。'10.09.19. 西日背に宮入へ向う。'10.09.19.
宮入の体勢整える高張り提灯隊列 浜松町大門交差点からイザ宮入の芝大神宮へ

芝神明を有名にしたのは文化二年(1805)の火消し「め組」と相撲力士の喧嘩。 芝神明宮境内において勧進相撲が催され、木戸銭で揉め 一番の張本人のめ組の富士松はこの時の怪我がもとで3日後に死亡。 南町奉行の粋な計らいは、め組が咄嗟に半鐘を鳴らしたが、芝明神の半鐘がかってに鳴り出したのが喧嘩の原因だと、 結局九頭竜・辰五郎(浅草の新門辰五郎とは別人)・長治郎の3人が江戸払いになっただけで、 170人ほどが過料とお叱りだけで済んでいる。  

芝大門: 旧桜田村と芝増上寺門前。明治11年芝区となった為、芝を冠した各町は冠称を削除。 昭和22年港区の成立により芝を復活させた。大門とは増上寺総門の俗称です。
浜松町: 名主が遠州浜松(静岡県浜松市)の出身だったことによる。 慶長の頃は増上寺代官奥住久右衛門が名主を務め、「久右衛門町」と呼ばれていたが、元禄九年 (1696)からの名主権兵衛が遠州浜松の出身だったので「浜松町」と改称。 なお浜松は家康が名づけた美称で、旧称は引馬(ひきま)といった。
 


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