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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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鉄砲洲稲荷神社大祭 平成25年05月 (3年毎) |
神輿データ: 祭神:生成大神 台座:4尺1寸5分 建造年度:大正5年 製作者: 八丁堀・秋山三五郎
特記: 延軒屋根・平屋台造りの品格漂う大神輿。 宮出し宮入は弥生会が執り行う。 |
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京橋公園お旅所から弥生会による引渡し大野屋足袋店舗前までの10分の担ぎ出し |
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鉄砲洲稲荷神社 例大祭 '13.05.03.〜04.
3日は宮出し9時〜 お旅所17時半 4日は旅所12時〜 神社宮入20時 中央区湊1-6-7。
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鉄砲洲POP |
鉄砲洲稲荷神社の社殿 |
京橋公園お旅所での神事 |
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鉄砲洲稲荷神社は、中央区湊にある稲荷神社です。鉄砲洲稲荷神社の創建年代は不詳ですが、
寛永元年(1624)ころ稲荷橋南東詰に遷座、八丁堀稲荷と称していたが、
江戸湊が埋め立てられ明治元年(1868)当地に移転する。 |
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鉄砲洲弥生会(奉賛会): 白地に鉄砲洲稲荷神社を蓬色で染め抜いた印半纏を着用して、
宮出し、渡御の神輿引渡しの曳行、そして宮入を執り行なう神輿渡御の総責任集団で氏子の連合睦会的な役割を担っている。
現在の会員は300名強とか。 なお鉄砲洲の氏子町会は15ある。
戦後50年間途絶えていた本社神輿渡御を平成12年の御遷座一千百六十年奉祝大祭で復活させた。 |
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正にお江戸の神輿 安永年代創業の江戸町割間口の大野屋足袋店舗前まで弥生会の千貫神輿担ぎ |
例大祭渡御は3年毎と定められており、平成20年は例大祭渡御でした。
平成22年は陰祭りでしたが鎮座1170年の式年渡御。
平成25年度は歌舞伎座新開場、弥生会創立15周年で5月3〜4日の大祭。次回の例大祭渡御年度は?
5月3日(祝) 宮出し 09:00。 御本社神輿渡御(宮出し・四の部町内渡し)
5月4日(祝) お仮屋 12:15。 御本社神輿渡御(五の部町内渡し・宮入り) |
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新富町会の郵便局交差点で威勢良い担ぎ |
応援担ぎ手も加わり新大橋通りを目指す |
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入船町会への受け渡し場所が真近となり最後の担ぎだと新富町会の喜びの雄叫び |
ニ百数十人の櫓下(一座の看板下)の綺麗どころ、新富町の芸者衆が妍を競っていたのはもうかなり昔の話になってしまった。
時代の移り変わりに、新富町もかつての花柳界から、大小のビルが立ち並ぶ昼間のビル街へと変貌しています。 |
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入船2丁目の担ぎ手鼓舞と歓喜の雄叫び |
神輿を前進だ前進と急かせる神輿指揮者 |
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入船2丁目町会の受け渡し直前の最後の担ぎに必死の形相の担ぎ手達 |
五之部・四之部とは明治初年に実施されていた大区小区制(数字で行政区域を表示)の名残で、
現在も中央区では連合町会の単位として機能している。
五の部は鉄砲洲と俗称される地域に相当し、湊一丁目及び二丁目町会は祭事には合同で宮元町会を結成する。
四の部は銀座の内三十間堀川より東、旧・銀座東の区域で、戦前に木挽町と呼ばれた地域を中心とし、
氏子には歌舞伎座や新橋演舞場も含まれる。 |
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手の込んだ屋根下の垂木や桝組 |
神輿胴の唐戸や堂柱の極彩色 |
鉄砲洲稲荷神社の千貫神輿は品格漂う極彩色が施された艶やかな神輿です。
極彩色とは大変鮮やかで色数も多く全体として豊かで華やかな色どりのことで、
絢爛豪華、金襴緞子、日光東照宮の陽明門がその代表格でしょう。 |
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幕末の広重の時代、鐵砲洲から芝浦までが「江戸湊」と呼ばれ、京橋川が隅田川に合流する河口から南の方へ細長い洲が
「鐵砲洲」と呼ばれていました。
名呼の由来は、種子島に伝来した鐵砲に似ていたとも、徳川家康が三河岡崎より入府の際、
大筒の試射場であったからとも言われています。 |
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