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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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浅草神社 三社祭り 平成25年05月 (毎年) |
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浅草六区入口から東京スカイツリーとセイヤセイヤの浅草公園町会神輿との浅草下町コラボです |
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浅草神社 三社祭り '13.05.19.(日曜)
本社一之宮 宮出し6時〜宮入19時半、
二之宮 宮出し6時〜20時、三之宮 宮出し6時〜20時半。
18日(土曜) 12時〜氏子四十四ヶ町100基の連合渡御。
浅草寺本堂右隣にある神社で、通称は三社権現、三社様。
東京の初夏を代表する風物詩の一つ。台東区浅草2丁目3 |
観光POP |
浅草神社POP |
四十四町会POP |
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三社祭は
かつては観音祭・船祭・示現会に分かれていたが、明治5年(1872)から5月17・18日に行われるようになった。が、
現在は5月第3週の金・土・日曜日に行われる。正式名称は「浅草神社例大祭」。
浅草神社は明治に入るまでは浅草寺と一体であり、この時代には浅草寺の祭りとして行なわれていた。 |
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神輿データ: 祭神:槍前竹成命 台座:三尺七寸(112) 建造:昭和28年 製作者:浅草・宮本重義
特記: 「三之宮」 吹き返しがない延軒屋根と蕨手が軒下から巻き上がっている 胴に晒を巻く |
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大幅に遅れてきた三之宮本社神輿を躍動と熱気で担ぐ西浅三北町会の渡御 |
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芝崎中から大幅遅れで引受けた西浅三北の担ぎ |
言問通りへと左右に大きくブレながらも前進していく |
言問通り(こととい通り)とは文京区本郷・弥生の本郷弥生交差点から、
隅田川にかかる台東区言問橋に至る道路の通称である。
橋の名前の由来は、平安時代の六歌仙の在原業平の歌にもとづくとか。
なお橋の開通は昭和3年(1928)。 |
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神輿データ: 祭神:土師真仲知命 台座:三尺七寸(112) 建造:昭和25年 製作者:浅草・宮本重義
特記: 「一之宮」 吹き返しがない延軒屋根と蕨手が軒下から巻き上がっている 胴に晒を巻く |
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浅草田原町から寿四町会の激しい担ぎ棒取りバトルを繰り返しながら渡御する |
田原町は昔このあたりが浅草寺の田畑だったためといわれている。
旧町名で市電田原町の電停があったための名残で、メトロ銀座線の駅名として残された。 |
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町内路地中でも激しい神輿揉みの寿四町会 |
寿四町会が路地四辻を右や左へと突き進む |
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駒形二丁目の老舗の「どぜう」店頭を神輿揉み繰り返しながらセイヤセイヤと一之宮が渡御してくる |
「駒形どぜう」の創業は享和元年(1801)、徳川11代将軍、家斉の時代。
江戸時代からのどぜうなべ・どぜう汁の専門店です。
浅草駒形本店は、江戸時代の代表的な商家造りの出し桁造りの建造で、
当時から大名行列を見下ろすことがないようにと通りに面した二階には窓がない。
東京都台東区駒形1-7。 |
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駒形から引き受け浅草消防署前の担ぎ |
威勢よく路地中をブレながらも突き進む寿三東 |
初夏告げる浅草の三社祭は、下町の華 掛け声の競演でもある。
「ソイヤ、ソイヤ!」と威勢のよい掛け声。「セイヤ、セイヤ!」と掛け声が彼方此方で飛び交うのです。
富岡八幡の深川八幡祭りでの掛け声は、江戸の伝統文化を護ろうと、「セイヤ!ソイヤ!」を禁止して昔ながらの「わっしょい」である。 |
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三社祭の一之宮、二之宮、三之宮は毎年渡御地区を変える。
一之宮には土師真中知命、二之宮には桧前浜成命、三之宮には桧前竹成命の御神霊を乗せて氏子地区の隅々を渡御するのですが、
単年度での例大祭で宮神輿が氏子四十四ヶ町全ては広すぎて渡御することが出来ないのです。
平成25年度の渡御地区は 東部二之宮 西部三之宮 南部一之宮。
平成24年度の渡御地区は 東部一之宮 西部二之宮 南部三之宮でした。 |
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