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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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浅草神社 三社祭 平成29年5月 (毎年) |
神輿データ: 戦災により全て焼失したが、一之宮、二之宮が昭和25年に、三之宮が昭和28年に奉納されたものです。
本社神輿一之宮・二之宮・三之宮ともに 台座は3尺7寸(112CM)です。 |
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激しく神輿揉み繰り返す担ぎ手達の熱気に包まれた一之宮がひさご通りを出てくる |
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三社祭 '17.05.21.(日曜) 宮出し6時〜宮入り20時 本社神輿3基が各町会を渡御する.
今年度は一之宮は西部地区 二之宮は南部地区 三之宮は東部地区を渡御する 。
05.20.(土曜) 浅草氏子44ヶ町の町内神輿約100基の連合渡御です。
浅草寺本堂裏広場に参集した神輿が一基ずつ浅草神社でお祓いを受けて各町会へ渡御。
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三社祭POP |
三基を宮出し後の静寂な浅草神社 |
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三基の宮出しは浅草神社境内から担ぎ出す氏子宮出しと、その後を祭り愛好家らが
受けて「オイサ」「オイサッ」と各町会に引き渡す下町に初夏を告げる町会渡御です。
約一万人の担ぎ手達が押し合いへし合い、時には小競り合いも起きる渡御です。
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言問通りを多くの警察警護員に守られてひさご通り商店街に入り込む一之宮 |
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掛け声が響き渡るアーケドのひさご通りから |
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大正13年完成のアーケド街のひさご通りを熱気の掛け声が響く |
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強い朝日を浴びながら花やしき通りを往復して |
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町会引き渡し場所の国際通りへと威勢良い掛け声で進んでいく |
浅草花やしき遊園地:
嘉永6年(1853年)千駄木の植木商、森田六三郎により牡丹と菊細工を主とした植物園「花屋敷」が開園した。
日本最古の遊園地とされる。 昭和22年(1947)春に遊園地「浅草花屋敷」として再開園。
昭和28年(1953)のローラーコースターなど現在もあるアトラクションが登場し始めた。 |
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東武浅草駅前の花川戸の狭い路地中を激しい神輿揉み繰り返し渡御 |
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花川戸一丁目お神酒所前で差し上げで渡御のご挨拶 |
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花川戸一丁目町会お神酒所前 |
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花川戸お神酒所から東武鉄道浅草駅へと気合入った掛け声で渡御 |
昔の氏子町会は観音の縁日にちなみ十八ヶ町あり(江戸時代は近隣の町会のみで形成されていた)、
そのうちの材木町、花川戸町、聖天町を宮元三ヶ町と呼び、
現在の氏子町会は四十四ヶ町です。
宮元とは「氏神のおひざ元」という言葉からきた呼び名ですが、
同時に神社に奉仕する特別の役割を持つ氏子衆の人々を指しています。 |
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東武鉄道浅草駅前へと神輿揉みを繰り返して渡御してくる |
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二之宮が雷門通から雷門中部町会へと入り込んでくる |
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二之宮が雷門中部町会を |
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オイサ!オイサァ!と掛け声を響かせて前進してくる二之宮 |
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四つ角をゆったりと回り込む二之宮 |
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雷門仲通に面する会席料亭前を威勢良い掛け声で渡御していく |
三社祭とは浅草神社の祭神が土師真仲知(はじのまつち)、檜前浜成(ひのくまはまなり)、武成(たけなり)という3人の神を
三社大権現と呼ばれたことに由来する。
本社神輿一之宮の浅草神社への宮入りは20時00分、 二之宮は19時30分、三之宮は19時00分です。 |
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