歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 午前の猛暑の中を多くの担ぎ手達の気迫で渡御する東葛西の中割八雲神社
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    東葛西 中割八雲神社(水神社相殿) 平成25年07月 (3年毎)

神輿データ: 祭神: 須佐之男命 台座:三尺(91) 建造年度:大正13年 製作者:行徳・後藤直光
 特記: 延軒屋根・平屋台造り 駒札は葛西仲町からH22年以降は中割八雲 H19年に修復工事
 

宮出しだと気合の神輿揉み。'13.07.07.
狭い境内から猛暑に負けるなと熱気むんむんの担ぎ手達による宮出し

祭礼POP。'13.07.07. 境内も社殿も小さい八雲。'13.07.07.   東葛西中割八雲神社
  '13.07.07.(日曜) 宮出し8時半〜宮入17時。
狭い境内に社殿と神輿庫があり、宮神輿や獅子頭も含めて平成19年に全て改修されている。

水神社に八雲神社の分霊を勧請して合祀し、 一般に八雲神社と称され、この相殿の祭神は須佐之男命。
  東京都江戸川区東葛西8-5-12
祭礼POP 小さな八雲神社の社殿

旧東宇喜田村が海岸沿いであった元禄時代に幾度かの津波に遭った為に水神を祀り創建されたのが水神社、 祭神は豊玉比古命 (水の神)です。
安政年間に名主八郎兵衛が疫病から民を守ろうと下総印内から八雲神社の分霊を勧請して合祀して、 以来水神社は民から五穀豊穣と漁労そして悪疫退散の神と崇められて、一般に八雲神社と呼び習わされている。
 

狭い境内での神輿揉み。'13.07.07. 夕刻までの渡御の始まりです。'13.07.07.
狭い境内を一杯使い威勢よく神輿揉み 多くの担ぎ手を従え笛と掛け声で神社前から渡御

中割八雲神社は三年振り渡御のため同好会400名と九町会200名が参加です。  

強い日差しの猛暑のなかの渡御。'13.07.07. そこが水分補給の休息所。'13.07.07.
暑さも何のその 3年振りに担ぐのだ 休息所の天祖神社鳥居へ方向転換

気合入れて鳥居から境内に真直ぐ前進だ。'13.07.07.
暑さに負けるなと大団扇に鼓舞されて中割天祖神社鳥居下に

接待にお礼の差し上げ。'13.07.07. 渡御再開のため鳥居から出る。'13.07.07.
天祖神社御接待に差し上げでご挨拶 鳥居下から次ぎの休息所へと渡御再開

中割天祖神社は 旧東宇喜田村中割の鎮守として慶安2年(1649)に創建されたが、東葛西の区画整理のために、 平成元年に東葛西9-5より当地東葛西7-17へ移転してきた。社殿裏に移築された富士塚がある。  

バス通りを警備員に守られての渡御。'13.07.07.
炎天下の猛暑の中を次ぎの休息所まで交通整備員に守られて気迫の渡御

渡御路の昇覚寺の鐘楼。'13.07.07.   昇覚寺は寛文3年(1663)に建立。境内の鐘楼は天明8年(1785)頃の建造と推定されています。 鐘楼は時刻や緊急情報などを知らせるため鐘を設置した建物で、太鼓を置いたものは鼓楼という。
昇覚寺の鐘楼は袴腰(はかまごし)形式で、区の景観重要建造物に指定。  江戸川区東葛西7-23。
昭和59〜60年に解体復元修復工事が施された。
渡御途中の昇覚寺の鐘楼

葛西は東京都江戸川区南部 (旧東京府南葛飾郡葛西村を中心とする)の地域で、江戸時代は桑川村と長島村、 東宇喜田村、西宇喜田村に分かれていましたが、明治22年(1889)町村制が施工され、四つの村が合併して葛西村となる。
なお葛飾区を「本田筋」、墨田区・江東区を「新田筋」に分けたが、 「新田」とは江戸時代以後に開発された農地をいう。
 


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