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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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鮫洲八幡神社 惣町大神輿 平成25年08月 (中神輿と交互渡御) |
祭神: 誉田別尊 台座:四尺三寸(130) 建造年度:文化10年 製作者:大工・山崎音次郎
特記: 惣町大神輿:金色の延軒屋根・平屋台造り大神輿。篠笛と太鼓の品川拍子で渡御 |
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惣町大神輿が旧東海道から路地中の釣舟岩田休息所に入り込み太鼓叩きながら差し上げご挨拶 |
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惣町大神輿 平成25年は 神輿建造200年祭 8月17日(土曜) 宮出し3時〜7時
8月18日(日曜) 15時〜宮入18時 |
灼熱のなか祭礼提灯 |
祭礼POP |
静かに佇む八幡神社社殿 |
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鮫洲八幡神社は旧御林町(おはやし)と呼ばれ漁師町で、御菜肴八ヶ浦のひとつに数えられる。
後の大井鮫洲町の総鎮守です。創立の年代は定かではありませんが、 寛文年間(1661〜1673)の頃には、
すでにあったとされています。 |
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御仮屋で渡御の飾り付け整備 |
飾り棒を担ぎ棒に組みたてかえる |
鮫洲八幡には惣町大神輿(惣町神輿)と八幡神社大神輿(宮神輿)の二基がある。
神輿の特徴は、縦棒を担ぐ神輿に見られる様な縦棒が台輪の中を通すのでなく、縦棒に神輿を載せるようにする。
このため、台輪は厚みがありません。その縦棒へ神輿の前後に3本ずつ計6本の横棒がつき、担ぎ手は横棒を担ぎます。 |
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整備終えて御仮屋前へ抱えて運び出す |
渡御開始場所での大拍子の試し打ち |
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篠笛と大拍子の品川拍子に乗り神輿を左右に振り上下に大きく神輿揉み繰り返しじわりと前進 |
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真夏の強い直射日光を浴びながら激しい神輿揉みを繰り返して渡御していく |
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休息所へ担ぎ手の息合わせ差し上げご挨拶 |
神輿を上げながらの入り込む方向転換 |
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鮫洲南町町会山車の桃太郎前で品川拍子の神輿揉みでひときわ黄金色に輝く惣町大神輿 |
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旧東海道の南町町会折り返し地点での熱気の神輿揉み渡御 |
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旧東海道の鮫洲南町会の折り返し地点でご挨拶 |
南品川三丁目の都道鮫洲大山線まで北進を開始 |
前後合わせて6本の横棒を担ぎ、篠笛と大拍子にあわせて左右に神輿揉みしながら渡御です。
2基の神輿は横棒の長さが違うために若干渡御するコースが違って、惣町大神輿の場合は旧東海道のみの渡御です。
また、当神社の鳥居は低くて狭いため、宮出し宮入りのときだけは専用の短い担ぎ棒と交換します。 |
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惣町大神輿は台座4尺3寸5分 文化10年(1813)の建造で社殿に納められ、
八幡神社大神輿は台座3尺3寸 昭和42年(1967)建造で神輿倉に納められている。
山車は北町は浦島人形 仲町は乙姫人形 南町は桃太郎人形の三基。 |
仲町会山車の乙姫 |
神輿庫の八幡神社大神輿 |
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鮫洲(さめず)の地名の由来は諸説ありますが、鎌倉時代、品川沖で大鮫が死んで浮いているのを漁夫が見つけ、
この鮫の腹を割いてみると、聖観音の木像が出現。
この聖観音は鮫洲観音と呼ばれ「鮫洲」の地名になったといわれる。
この観音像は海晏寺(かいあんじ・南品川五丁目)の本尊として奉られています。
惣町とは中世末から近世の都市の自治・支配の最上位の組織です。 |
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