|
伝承と伝統の民族文化遺産 |
|
|
祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
|
|
|
|
鮫洲八幡神社 例大祭 平成21年8月 (中神輿・惣町交互に毎年) |
神輿データ:祭神: 誉田別尊 台座:四尺三寸(130) 建造年度:文化10年 製作者:大工・山崎音次郎
特記: 惣町大神輿:金色の延軒屋根・平屋台造り大神輿。篠笛と太鼓の品川拍子で渡御 |
|
|
江戸時代の道幅のままの旧東海道南鮫洲で一番広い辻での笛と大拍子で左右に行き来する神輿揉み |
|
|
|
鮫洲八幡神社は旧御林町(おはやし)と呼ばれ漁師町で、御菜肴八ヶ浦のひとつに数えられる。
後の大井鮫洲町の総鎮守です。創立の年代は定かではありませんが、
寛文年間(1661〜1673)の頃には、すでにあったとされています。
例大祭:09.08.16.(日曜) 宮出し土曜午前3時。
品川区東大井1-20-10。 |
宮出しかわら版 |
鮫洲八幡神社の社殿 |
|
|
御菜肴浦(おさいさかなうら)とは、新鮮な魚介類を将軍家に献上する義務を持たされた漁場でした。
江戸湾44ヶ浦の漁業上の元締めとなって優先的な特権を持っていました。
御菜肴八ヶ浦は本芝・芝金浦・品川浦・御林・羽田・生麦・神奈川・新宿の各猟師町です。 |
|
|
|
|
御仮屋で担ぎ棒の組み立て |
北鮫洲の御仮屋での出御式 |
試し打ち・よせ太鼓が鳴り響く |
神社の鳥居は低くて狭いため、宮出し宮納めのときだけは専用の短い担ぎ棒と交換します。
そして鳥居をくぐらすために参道では神輿を担がず、横棒を腕に抱えて渡御します。
担ぎ棒の組み立てはすべて氏子衆が行い木頭は入りません。
宮神輿や町会神輿・子供神輿すべてを熟練氏子衆が組み立てるのです。 |
|
惣町大神輿の留守を預かる中神輿。
台座は三尺三寸(99) 建造年度は昭和42年 製作者:浅草・宮本重義と神輿としては新しいが古式の大鳥と簡素な平屋台作りです。
通常は宮神輿の中神輿が渡御をするが、慶事の年には惣町大神輿が渡御をする。
|
|
|
|
|
|
社紋を刷り込んだ深紅の祭提灯 |
惣町大神輿の留守を預かる中神輿 |
神輿の特徴は、縦棒を担ぐ神輿に見られる様な縦棒が台輪の中を通すのと違い、縦棒に神輿を載せるようにします。
このため、台輪は厚みがありません。その縦棒へ神輿の前後に3本ずつ計6本の横棒がつき、担ぎ手は横棒を担ぎます。
また、屋根の吹き返しも厚みのある独特のものです。
これは、以前海中渡御をしている時に太鼓と笛の手の者は屋根に上がり奏でていました。
そのときの足の支えにするとき怪我のないように、厚みのある吹き返しになっています。 |
|
|
|
|
北鮫洲お仮屋前からの出御 |
鮫洲の路地中を渡御 |
旧東海道へ入り込んできた |
鮫洲の祭りの特徴は、大神輿の宮出しが土曜日の午前3時より行われるところです。
その日は朝7時までかけて御旅所まで担がれます。
そして、日曜日の午後3時から再び担がれ夕方6時に神社社殿に納めます。
中神輿と大神輿とでは、担ぎ棒の長さが違うため渡御路が違います。
惣町大神輿は平成25年に建造200年を迎える。 |
|
|
|
|
惣町大神輿の旧東海道渡御では、
辻で差し上げでの方向転換を行い、復路は夕刻18時への宮入のため旧東海道を北進します。 |
南町お神酒所での差し切り御挨拶 |
旧東海道南鮫洲で折り返し |
|
|
宮出しには大拍子の「よせの太鼓」が鳴り響きます。それを合図に続々と人が集まりはじめます。
また渡御では前後合わせて6本の横棒を担ぎ、笛と大拍子にあわせて担ぎます。
なお、大神輿の渡御の時、氏子は半纏、腹巻(さらし)、半股引に白足袋の身装で奉仕しています。 |
|
|
|
|
浦島太郎(北町) 昭和26年 |
乙姫様(仲町) 昭和32年 |
桃太郎(南町)昭和初年建造 |
鮫洲の漁師町の山車に、
乙姫(おとひめ 姉妹のうちで、妹の姫)は、
日本のおとぎ話「浦島太郎」に登場する竜宮城の姫。竜宮の主である竜神の妻とも娘とも。
しかし、漁師町に何故桃太郎の山車が。鬼ヶ島で鬼から取った財宝が・・・。
それにしても真夏の祭典に山車全てに提灯ビニールカバー取り付けは無粋では。 |
|
|