歴史の浪漫街道   お江戸の神輿 笛と大拍子にあわせて神輿揉みで渡御する鮫洲八幡神社の台座3尺3寸の宮神輿建造50周年記念の大祭
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    鮫洲八幡神社 神社神輿渡御  平成28年8月 (毎年)

神輿データ 「神社神輿」 台輪 3尺3寸、大鳥(鳳凰)の高さ、2尺4寸、重量 約300貫、製作年 昭和42年、製作者宮本重義。
「惣町神輿」 御祝い事のある時に旧東海道のみを渡御する。 台輪寸法 4尺3寸5分 高さ(台輪下部〜屋根上) 6尺4寸 
大鳥(鳳凰)の高さ 3尺、重量 約450貫、製作年 文化10年(1813)、製作者 山崎音次郎(大工)

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神社神輿が御旅所から担ぎ出されて旧道を南下して船宿のお神酒所を目指す

samezu-pop.jpg(9469 byte) samezu-haiden.jpg(19638 byte) samezu-cyotin.jpg(8747 byte)   鮫洲八幡神社。'16.08.14.(日曜)
土曜日の午前3時より宮出しで朝7時まで御旅所へと担がれます。
そして日曜日の午後3時から再び担がれ夕方6時に神社へ納めます。

前後合わせて6本の横棒を担ぎ、笛と大拍子にあわせて渡御です。
  品川区東大井1-20-10
POP 宮入りを待つ鮫洲神社拝殿 社紋入り深紅の提灯

鮫洲は古くは御林町((おはやしまち)と呼ばれた漁師町で御菜肴八ヶ浦 (おさいさかなはちかうら)内のひとつに数えられていた。 御菜肴浦とは、新鮮な魚介類を将軍家に献上する義務を持たされた漁場で、江戸湾44ヶ浦の漁業上の元締めとなって、 優先的な特権を持っていた。
鮫洲八幡は古くは御林八幡宮と称せられ創祀の年暦は定かではないが寛文年間(1661〜1672)以前の御林町草創より建立とされる。
 

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横棒を新調して八幡神社神輿の建造50周年を記念して笛と大拍子にあわせての渡御   時刻14:50

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御旅所から旧道へと笛と大拍子に鼓舞されて左右に振りながらの渡御

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旧道の広い場所では左右に揉みながら船宿のお神酒所を目指して南下してくる

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狭い旧道を道幅いっぱい使い笛と大拍子に催促されるが電柱が邪魔して横に振れず

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休息所の船宿お神酒所へお礼ご挨拶の差し上げて撥を叩きながら路地に入り込む  時刻15:20

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笛と大拍子を叩きながら神輿を差し上げて旧東海道の商店街アーケード脇の鮫洲南町会にご挨拶

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旧東海道の商店街アーケードから折り返して鮫洲南町会で休息後に仲町会と北町会へ  時刻15:55

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南町会桃太郎 昭和初年建造 製作者不明 仲町会乙姫 昭和32年建造 だし鉄 北町会浦島太郎 昭和26年建造 だし鉄

山本鉄五郎は、だし鉄(山本鉄之)として神田田代町に店を構えた。 仲町会の乙姫と北町会の浦島太郎はだし鉄の作品です。 だし鉄は後に神輿製作も行ない、昭和5年に名作とされる台座4尺2寸の烏森神社の神輿を作った。日常的には纏を作っていたようです。 後継者に恵まれず残念四代目正太郎で途絶えた。  


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