歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 谷戸の沢沿いの小さな社だが若手祭り人は祭礼満喫する多摩諏訪神社
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    多摩諏訪神社 平成25年08月 (毎年)

神輿データ 祭神: 武御名方命 台座:二尺(60cm) 建造年度: 昭和後期 製作者:受刑者
     特記: 別当寺 薬王寺 連光寺馬引沢地区の鎮守で当地の旧家によって祀られる
 

担ぎ手一団は拍子木と手拍子で鼓舞する。'13.08.25.
馬引沢(まひきざわ)の登り坂を和やかな一団が喘ぎながらワッショイと力合わせ渡御して来る

鳥居にみたてた略図か。'13.08.25. 拝殿前の又木が神事を醸し出す。'13.08.25. 山車の素朴な緞帳。'13.08.25.   多摩諏訪神社
’13.08.25.(日曜)
宮出し13時半〜
  宮入17時
多摩市諏訪
 1丁目8-3
車道下の小川挟んだ住宅地の端
子供募集 拝殿前に又木設置で祭りの雰囲気 細く背高山車の素朴な緞帳

創建年は不明だが、宝暦元年(1714)の幣殿建造という記録がある。 また鳥居には天明8年(1788)の刻印がある。 連光寺馬引沢地区の鎮守で、当地の旧家、小形・平楽・増田・相沢等の家によって祀られてきたとか。
例大祭は、多摩市内の神社が市の指導で9月第二日曜に統一した際、 総本宮の長野県諏訪大社の例大祭が8月27日である事から変更しなかった。
 

橋の手前から担ぎ出し。'13.08.25. 登り坂をバス通りへ。'13.08.25.
参道鳥居の小橋前からの担ぎ出し 参道前通りはいきなりの登りの坂道

諏訪神社は谷戸の沢の脇にあり、低い境内にある社殿は石垣で高く建てられ、 参道入口の鳥居横に祭礼の大幟が掲げられている。鳥居前は小さな小川だが、狭い橋が架かっている。 渡御の担ぎ出しはこの鳥居前路上で行われる。  

諏訪バス大通りから馬引沢へ。'13.08.25. 馬引沢住宅へ。'13.08.25.
諏訪バス大通りから高台の馬引沢へ 馬引沢住宅の山手へと神輿が入り込む

祭礼の隊列は曳き太鼓、お囃子山車、給水車、子供神輿、宮神輿が続く。 子供が多いのは山車の綱引きと子供神輿の担ぎ手を毎回募集しているからとか。  

馬引沢住宅を登る余裕の神輿。'13.08.25.
高台の馬引沢(まひきざわ)一丁目登り坂道でも宮神輿の今は余裕の担ぎ手達

喘ぎながらの馬引沢を渡御。'13.08.25. ヤット着いたと笑顔。'13.08.25.
キツイゾと喘ぎながらの馬引沢の峠へ 登り坂を辿り着いた喜びでホット笑顔に

お囃子山車に先導され渡御再開。'13.08.25.
馬引沢(まひきざわ)接待所からお囃子山車に先導されて神輿が威勢よく渡御再開

引き御太鼓は平成5年建造、山車は腰幕には馬引沢はやし連平成10年とあるので同時期の建造か。 留守を預かる先代の曳き太鼓は昭和54年の建造。  

馬を持ちながら神輿担ぎながら鼓舞する。'13.08.25.
臨機応変に何でもこなすのが多摩諏訪神社の神輿好きの若手祭り人達なのだ

馬引沢(まひきざわ)地名の由来:  大字連光寺字沖谷戸の谷間から当地を通り乞田川にそそぐ沢があり、 この沢沿いに鎌倉街道から諏訪神社前を通り川崎市黒川へ抜ける道があったようで、 黒川境に至る辺りは険しいところであったといわれています。 近在の人々より深く敬われていた薬師如来を祀る薬王寺がありその前を通る時、 馬から降りて引いて通ったといわれているところから名がつく。  


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