歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 一之宮と二之宮そして女神輿の三之宮が連合で渡御する自由が丘熊野神社
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    自由が丘熊野神社 平成25年09月 (毎年)

神輿データ: 祭神:伊邪那美神 台座:三尺(91) 建造年度:不明 (昭和以前) 製作者:不明
 特記: 銅羽目に紅葉に鹿を刻んだ平屋台造り 一之宮は昭和8年三田春日神社より譲り受け
 

一之宮神輿を狭い神社鳥居前通りの担ぎ。'13.09.01.
ずっしりとした大屋根の重量感溢れる一之宮神輿を狭い神社鳥居前通りからの担ぎ出し

神紋は八咫烏でなく家紋?。'13.09.01. 細長い参道。'13.09.01. 樹木に囲まれた社殿。'13.09.01. '13.09.01.(日曜) 宮出し13時〜
  宮入18時
神社前路上からの
 三基の担ぎ出し
目黒区自由が丘
   1-24-12
熊野神社の幟 細長い参道に鳥居が並ぶ 強い日差しのなかの社殿

熊野神社は熊野詣が盛んだった頃、地元の住民が講を作って熊野参りをして本宮の分霊を拝受して創建したと伝えられる。 寛政八年(1796)に社殿改修棟札の写しが残っており、少なくともその時期までにはこの地に創建されていた。
かつて一帯は「谷畑」と呼ばれ、当神社も通称「谷畑の権現さま」と呼ばれた。
 

御幣(おんべ)役。'13.09.01. カンカン帽被る役員。'13.09.01.
金棒叩きつけジャラジャラと鳴らす御幣(おんべ)役 羽織袴装束でカンカン帽被るの氏子役員たち

御幣役(おんべやく)=神輿渡御路を掃き清める役は、 金棒を地面にたたきつけその後回転させてジャラジャランと鉄輪を鳴らす。 羽織袴のカンカン帽の総代役員が神輿を先導する。  

狭い神社前通りからの担ぎ出し。'13.09.01.
掛け声「おいさおいさ」が響き神社前からの威勢良い担ぎ出し

東横線踏切で待つ山車。'13.09.01. 山車目指し担がれてくる。'13.09.01.
神社前通りの東横線踏切で神輿を出迎えるお囃子 悠然と一之宮神輿が待ち受けるお囃子屋台目指す

負けるなと二之宮。'13.09.01. 軽快な女神輿。'13.09.01.
唐破風屋根の二之宮 (後ろ側の駒札は神舞) 黄色い掛け声の三之宮 (駒札は女神)

神社前通りを一之宮、二之宮、三之宮(女神輿)の三基が連合担ぎ出しです。
一之宮神輿のみが自由通り坂下まで北進していく。
 

一之宮じわりと方向転換。'13.09.01.
神社前通り東横線踏切前を目一杯使っての神輿を方向転換させて自由通りを北進していく

二之宮手拍子とマイクに鼓舞される。'13.09.01.
ハンドマイクに鼓舞され威勢良い掛け声で担がれてくる二之宮神輿

自由通り坂下目指す。'13.09.01. 一之宮がひかり街へと渡御。'13.09.01.
自由通りの亀屋万年堂店舗前を北進していく 自由通り坂下からひかり街と自由が丘デパートへ

一之宮がひかり街から自由が丘デパート商店街へ。'13.09.01.
強い日差しの下をショップモールひかり街を一之宮が威勢よく渡御です

一之宮神輿がひかり街、自由が丘デパート商店街から駅前広場に殿で担がれて、 自由が丘駅前の女神像前で町会神輿も参加して14時から神事が行われ、 その後神社宮神輿と町会神輿は駅前ロータリーから各氏子町会へと巡行です。  

自由が丘地名の由来: 昭和2年(1927)東京横浜電鉄による渋谷駅〜丸子多摩川駅間(東急東横線)の開通に伴ない、 設立された自由ヶ丘学園(中学校、小学校、幼稚園を併設)により、自由が丘(当初は自由ヶ丘)と呼ばれるようになった。 鎌倉時代には開拓され旧荏原郡衾村字谷畑(やばた)と呼ばれていた。  

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